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自然と歴史
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かわぎり
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カメラが動作しなくなった
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クロアゲハ
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今朝の未明の雨は45mmを超えた、短時間で降ったのだろうか軒下に置かれた履き物はずぶ濡れ、11時頃から青空が覗き、夏の太陽がじりじりと照りつけている。
大きく翔を広げ留まっている蝶を見つけた、一面真っ黒、バックが黒いと全く判らない。

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菊の葉に留まってひとやみす。
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スイカの葉に留まって休憩
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撮影は生駒市北部 午後3時頃 快晴 25度

by kwsan | 2016-06-23 15:29 | | Comments(0)
コクワガタ
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夕方の7時頃、ウォーキング中、道路をよぎっているのを見つけた。最近はこれらのクワガタ類は捕獲する人が多く見かけることが少なくなった。
クヌギ、コナラ、等の樹液に集まるそうだ。

by kwsan | 2016-06-18 21:05 | 昆虫 | Comments(0)
2月16日「古道」の続編

小字「墓ノ谷」の場所について大学の先生からコメントをいただいた、「大谷」と云う地名の場所には昔から「墓地が多く見受けられる」そのため小字「墓ノ谷」なる地名は大谷道に沿ってあったのではないか。そういえば地元の方からも「大谷道」に沿って小字「墓ノ谷」の地名が残っていると聞いている。コメントと地元の方の話が合うことから小字「墓ノ谷」の場所は「大谷道」に沿った場所にあったと考えられる。

大谷道を下ると小字「茶屋が谷」の前に出る。
 地元の方から、面白いと言っていいかどうか、判らないが、話を聞いいる。
 昭和バブルの頃、向露寺墓地前から、小字茶屋が谷を通り抜け、黒添池方面に道路を通し周辺を開発する話がまとまった。
 工事をする前に、お祓いをしなければならない。ある日、行者(此所では行者と呼んでおこう)を呼んで、お祓い場所まで案内中、行者の様子が突然おかしくなり、立ち止まって動かなくなった。行者が言うには、「この向こうには、亡者がうようよ見えており、その数も数えられないほど多く、とても私の手には負えない、これ以上進と亡者共に私は殺されてしまう、今回のお祓いは勘弁してくれ」と言って断られた。こんな事から開発の話は立ち消えになった。

 この付近は、その昔、鷹山氏が高山を納めていた時代、戦いが多く戦死者が数知れず、それらの遺体は小字茶屋ヶ谷から黒添池に続く周辺に捨てられ、供養も行われなかった、亡者は捨てられた遺体ではないかと言われている。このような場所は全国何処にでもあるのではないかと思う。


平成11年頃、ここから100m北に「ミツワリ」という小字があり、鳥居が道路から見える。ある業者がその付近の土地を購入し谷を埋め立てた、土地を活用するまでに業者は倒産してしまった。祀られている神様の罰が下ったのではないかと想像する。


 この付近は不思議な話のある地域で、逆に言えば、開発してはならないという戒めかも知れない。


by kwsan | 2016-06-16 20:18 | 歴史 | Comments(0)
向露寺墓地の草刈
天気は良くないが雨は降りそうにない、村墓地(向露寺墓地)共有地の草刈、総勢11人だが、草刈り機を使えるのは8人、3人は刈り取った草を集荷し、焼却場まで運ぶ作業となる。
8時開始、1時間程で草刈は終わったが、集荷作業は、草刈より時間がかかる。
完了したのが11時、予定通りである。
4年前迄は、住職の作業だったが、住職も、寄る年波には勝てず、壇信徒の追加作業となった。
 墓地の清掃は、年1回で、通常8月1日と定められ、昭和24年から続いている恒例作業である。その以前は、史料がないので判らない。私見であるが、当時は、家畜(牛)の餌として飼育家が、刈り取り、餌代として寺に支払っていたと考えられる。現在の農業は、機械化され家畜(牛)等は、いないため、壇信徒の作業となっている。
墓地の維持費については、昭和20年代までは、麦又米で支払っていたと、記録が残っている。被農家は、現金支払いだったようだ。
 話は変わるが「念仏講」なる「講(同行という地域もある)」があった、是は、人が亡くなった場合、貧富の差により、葬式出来ない家も、昔はあった。そのため平等に葬式を出来るように考えられたもので、講で必要な経費は、平等に集められるが、此所でも麦・米・現金の三通りの支払いがあったことが、古文書等から判明している。古文書によると、我が地域の念仏講は「元文6年」(1741)以前から行われていたことも判明している。現在は、葬祭場で行われるため「講」の存在は、無くなり廃講になった地域もあり、運用されていない状態である。
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墓石ばかりで草が生えている部分は見えないが、墓地内に入るとあちこちに繁茂している草が見受けられる。

by kwsan | 2016-06-04 20:33 | その他 | Comments(0)