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at 2017-04-03 17:15
第5回 瓦の刻印 調査 

瓦の刻印 第5回 調査結果

平成30年、3月~4月の2ヶ月の調査結果。
今回も「髙瓦房」、「髙 森岡、早安」が多い。また、新しい刻印も見つかった。「私瓦八」、「髙 森岡製」は交野市私部地区で使用が確認されている。「髙 森岡、早安」、「髙 森岡製」は同じ生産者と考えられる。

確 認 日  平成30年3月22日
発見場所  大北地区 向露寺墓地
使用個所 迎え地蔵舘の屋根
瓦の種類  軒桟瓦
刻  印  髙瓦房
そ の 他 刻印及び生産者は「瓦刻印 第1回 写真2」参照。

確 認 日  平成30年3月25日
発見場所  芝地区 空き家の敷地内
使用個所  土塀の屋根瓦
瓦の種類  棟瓦
刻  印  乾瓦辰  写真2
そ の 他 瓦刻印 第1回「写真10」の「乾谷 瓦辰」と同じ生
     産者で精華町乾谷地区と考えられる。

確 認 日  平成30年3月25日
発見場所 芝地区 廃屋
使用個所 土塀の屋根瓦
瓦の種類 万十軒瓦
刻  印 髙山 瓦多  写真1
そ の 他 此の瓦は初めて見つかった、生産者は調査中。

確 認 日  平成30年3月25日
発見場所 芝地区 廃屋
使用個所 小屋の屋根に使用
瓦の種類  桟軒瓦
刻  印 髙山 森岡製
そ の 他 瓦刻印 第四回の写真2参照

確 認 日  平成30年4月8日
発見場所  庄田地区 本願寺境内天満宮
使用個所  天満宮の屋根
瓦の種類  軒丸瓦
刻  印  髙山 森岡 早安
そ の 他  瓦の刻印 第1回 写真1参照

確 認 日  平成30年4月17日
発見場所  庄田地区 廃屋屋敷内
使用個所  小屋の屋根、他
瓦の種類  軒桟瓦/素丸瓦/桟瓦
刻  印  髙瓦房
そ の 他  明治頃に建設された民家で敷地が狭いため別の場所に
      新築した、その後、元屋敷は廃屋となった。
      刻印及び生産者は「瓦刻印 第1回 写真2」参照。

確 認 日  平成30年4月17日
発見場所 庄田地区 廃屋屋敷内
使用個所 不明
瓦の種類  素丸瓦
刻  印  髙 森岡 安早
そ の 他  明治頃に建設された民家で敷地が狭いため別の場所に
       新築した、その後、元屋敷は廃屋となった。
     瓦の刻印 第1回 写真1参照。

確 認 日  平成30年4月17日
発見場所  庄田地区 廃屋屋敷内
使用個所  不明
瓦の種類  桟瓦
刻  印  私瓦八
そ の 他  明治頃に建設された民家で敷地が狭いため別の場所に
      新築した、その後、元屋敷は廃屋となっている。
      民家でこの種の瓦が見つかることは珍しい。
      瓦の刻印 第1回 写真12参照。


                            写真 1                  

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写真 2
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# by kwsan | 2018-05-30 09:29 | 歴史 | Comments(0)
瓦の刻印 第4回

瓦の刻印 

 平成29年12月~30年2月の3ヶ月間の瓦刻印調査の内容である。刻印の多くは「高瓦房」で、同じ地域に「森岡」の生産地もあるが、「森岡」の刻印は古い建物に多く見られる、第三回博覧会の刻印が、2軒見つかったことは、他にも使われていると思われる、刻印の写真は、必ず持ち主の了解を得て行っているが、古瓦に見えても必ずしも刻印が見つかるとは限らない。発表済の瓦については今回は省いた。

確認日  平成29年12月15日
瓦の種類 桟瓦(ごんろく)
刻印   「高山 瓦法橋」第1回写真4と同じ
場所   庄田地区 民家 敷地内

確認日  平成29年12月24日
瓦の種類 桟瓦
刻印   「高瓦房」
場所   大北地区 民家 土塀
適用 持ち主の了解を得ていないので刻印の写真はない。


確認日  平成30年1月9日
瓦の種類 冠瓦
刻印   「高 森岡 安早」第1回写真1と同じ
場所   大北地区 廃寺大雄寺 観音堂 屋根


確認日  平成30年1月11日
瓦の種類 桟瓦/軒瓦
刻印   見つからず
場所   庄田地区 風呂の屋根
適用   刻印は見つかっていないが、持ち主の話では「森岡」製
     と言っていた、戦後30年代の建物。


確認日 平成30年1月12日
瓦の種類 棟瓦(紐伏間)
刻印   「中瓦佐」第3回写真1と同じ
場所   久保地区 2月堂境内


確認日  平成30年1月14日
瓦の種類 万十軒瓦
刻印 「慶状 第5回内国 勧業博覧会」
    「瓦商 和刕高山 有山房吉」第1回写真9と同じ
場所   庄田地区 民家 土塀


確認日  平成30年1月14日
瓦の種類 軒桟瓦
刻印 写真1、「高瓦房」(横書き)
     「高瓦房」(縦書き)第1回写真2と同じ
場所 庄田地区 民家 土塀


確認日  平成30年1月14日
瓦の種類 軒桟瓦
刻印   「高瓦仁」第1回写真3と同じ
場所   庄田地区 民家 井戸屋形


確認日  平成30年1月14日
瓦の種類 軒丸瓦
刻印   写真2、「高山 森○製」
     「高山」生産地を現す
     「森○製」は生産者を現し「森岡」と考えられる。
場所   庄田地区 民家 小屋
適用   是と同じ刻印が交野市私部で確認されている。


確認日  平成30年1月30日
瓦の種類 軒桟瓦
刻印1  図3、「高瓦清」
    「高」は生産地を現す
    「瓦」は瓦屋を示す
    「清」は生産者を示す ドビヤ(屋号)
刻印2 「高 森岡 安早」第1回写真1と同じ
刻印3 「高瓦房」第1回写真2と同じ
場所 庄田地区 西公民館
適用   建物は昭和30年代に別の場所から移設された。同じ屋
     根の瓦で3種の刻印が見つかった。


確認日 平成30年2月14日
瓦の種類 軒桟瓦
刻印 「慶状 第5回内国 勧業博覧会」
     「瓦商 和刕高山 有山房吉」第1回写真9と同じ
場所   大北地区 民家 小屋
適用   1ヶ月程前から刻印を確認していたが、刻印の内容がは
     っきりしなかったので今回、持ち主の了解を得て撮影。
     
確認日  平成30年2月16日
瓦の種類 軒桟瓦
刻印   「高瓦房」 第1回写真2と同じ
場所   庄田地区 民家 土塀
適用   持ち主の許可がないので写真撮影は行っていない。
 
    写真.1           
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       写真.2
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       写真.3
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# by kwsan | 2018-03-01 08:27 | 歴史 | Comments(0)
瓦の刻印 3
瓦の刻印 第3回
今回は民家(旧家)の紹介で屋根瓦を見させて貰った、梯子で途中まで登り撮影した。

写真.1
刻印(銘)   中瓦佐
瓦の種類     丸瓦
確認場所    民家の屋根
確認日      平成29年12月14日
刻印の意味    「中」生産地、中村地区
生産者     「佐」生産者の名前又は屋号を表す
       佐平次又は佐兵衛、どちらも地元の古文書に瓦屋として出て来る。
その他     是と同じ刻印は「瓦の刻印 第1回」の写真13と同じである。


写真.2
刻印(銘)   津田六
瓦の種類     鬼瓦
確認場所     民家の屋根
確認日      平成29年12月14日
刻印の意味    「津田」は枚方市 津田を表す
生産者      「六」は生産者又は屋号
その他      交野市文化財だより13号の刻印一覧表にこの刻印が表示されている。




写真 1                    写真 2
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# by kwsan | 2018-02-18 21:37 | 歴史 | Comments(0)
瓦刻印 第2回
瓦の刻印 第2回
平成24年10月頃、本願寺御堂の屋根北西の一角が倒壊した、その後、倒壊個所は年々広がり、修復不可能まで建物が損壊し危険性を露呈していた、今年の10月、役員会で解体することに決定した。解体は檀家の業者に依頼し11月15日から解体が始まり28日に終了した。
解体中に瓦の刻印を確認出来たのは以下のとおりである。
写真.2、写真.4は前回とは瓦の種類が違う、写真.5、写真.6は前回、読み間違えたので修正のため取り上げた。


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写真.1
 刻印(銘)   「る」
 瓦の種類    袖瓦
 確認場所   本願寺本堂屋根
 確認日      平成29年11月17日
 刻印の意味   不明
 生産者     不明
 特徴      刻印のある瓦は薄く作られているが刻印のない瓦は厚みが有る




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 写真.2
 刻印(銘)   高 安早 森岡
 瓦の種類     万十軒瓦
 確認場所    本願寺御堂の屋根
 確認日 平成29年11月18日
 刻印の意味 「高」高山町を表す、「安早」値段安く納期早い、
         と言う意味だろう。
 生産者 「森岡」生産者「瓦に刻印.第1回」写真1参照)




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 写真.3
 刻印(銘)   池谷 山内製
 瓦の種類      丸瓦
 確認場所 本願寺御堂の屋根
 確認日 平成29年11月18日
 刻印の意味 「池谷」生駒市南田原町と思われる、
 生産者 「山内製」生産者
        南田原町に「山内」という姓は見当たらなかったので南田原以外の地名である可
        能性もある。
 特徴     刻印は枠で囲まれていない。瓦の表面には光沢が有る、使用されてそんなに時
        間が経っていないと思われる。













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  写真.4
  刻印(銘)   私瓦八
  瓦の種類   桟瓦
  確認場所   本願寺御堂の屋根
  確認日   平成29年11月19日
  刻印の意味 「私」交野市私部を表す、「瓦」瓦屋を表す
  生産者   「 八」生産者
         「瓦の刻印 第1回」写真14.15.16参照
  特徴      「瓦」の刻印は前回と相違する、生産時期が相違するのではないか。














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写真.5、写真.6
刻印(銘)   乾谷 瓦辰
瓦の種類   桟瓦
確認場所   民家
確認日   平成29年11月25日
刻印の意味 「乾谷」精華町乾谷と思われる。
生産者   「瓦辰」瓦の生産者。名前については不明
特徴   瓦には◇のマークがある、瓦の表面には光沢が
        有る。
備考     「瓦の刻印 第1回」の写真10と同じであり、
        前回は「鳥谷」と読んだのが、間違いで「乾谷」
        が正解である。前回は法楽寺の境内で見つかった
        丸瓦で、今回は桟瓦で民家で見つかった。
  刻印が薄いので「乾谷」の確認するのに10数枚
       の瓦が必要であった。


























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# by kwsan | 2017-12-16 20:17 | 歴史 | Comments(0)
瓦の刻印の調査
瓦の刻印 第1回
最近は色々な瓦が造られ、メーカー名、屋号が刻印として瓦に表
示され、ロットNo 等も見受けられる。
色々な刻印を表示する事が困難であった時代、文字から製造者、
地域などが判るよう作られ、鬼瓦等はへらで必要事項が誌された。
高山地区にも数件の瓦屋が存在したと生駒市誌Ⅲに紹介されてい
る。生産された瓦は主に地元で消費され、他の地域で使用されるこ
とは少なかった、地元で造れない瓦などは他の地区より購入したと
考えられる。

図 1
刻印(銘) 高 森岡 安早
瓦の種類     丸瓦 平瓦、軒瓦、桟瓦
確認場所     民家、本願寺、廃寺大雄寺(観音堂)
交野市民家(交野市文化財だより13号による)
刻印の意味  「高」は高山地区を表す。
 「森岡」は生産者を表す。
 「安早」は安価で納期が早いと言う意味だろう?
生産者 森岡家は、高山地区で瓦屋を営んでいたことは生
駒市誌Ⅲに紹介されているが、活躍したのは明治
以降である。末柄は戦後大阪市に移転したと聞く。

           図 1
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図 2
刻印(銘) 高瓦房
瓦の種類    丸瓦、 棟瓦、軒瓦、冠瓦
確認場所    民家、 廃寺大雄寺
刻印の意味 「高」は高山地区を表す。
「瓦」は瓦屋を表す。
       「房」は生産者を表す。
生産者     明治初期から戦後まで活躍した瓦屋で「房吉」と
       いう、戦後は交野市の有山瓦屋の出張所を営んで
       いた。(新聞広告参照)地元では「どびや」とい
       う屋号で呼ばれ、末柄は平成の時代奈良市内に移
       転したと聞く。屋号「どびや」が文献に現れるの
       は、明治10年頃で「房吉」が文献に現れるのは、
       明治20年頃である。

            図 2
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図 3       
刻印(銘)   高瓦仁
瓦の種類   桟瓦、棟瓦(京箱タイプ)、丸瓦、ゴンロク桟瓦
確認場所   民家、廃寺大雄寺
刻印の意味  「高」は高山地区を表す。
       「瓦」は瓦屋を表す。
       「仁」は生産者を表す。
        生産者生産者名は判らないが、瓦の使用されている建造
       物から明治時代の瓦屋であったことには間違いな
       い、刻印の種類は写真のように幾種類かあり、瓦
       の種類で使い分けていたのかも知れない。
           
             図 3
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図 4
刻印(銘)   高山 瓦法橋
瓦の種類   桟瓦、軒瓦
確認場所   民家
刻印の意味  「高山」は高山地区を表す。
       「瓦」は瓦屋を表す。
       「法橋」は生産者の屋号を表す。
生産者    生産者「三夫」の先祖が僧侶であったところから
      「法橋」の屋号が付いたと云われている。瓦屋と
      しての実績は文献には現れないことから、活躍し
      た時代は、明治の一時期であったのではないかと
      考えられる。末柄は今も健在である。

            図 4
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図 5
刻印(銘)    高山瓦為
瓦の種類    軒瓦
確認場所    民家(井戸館)
刻印の意味   「高山」は高山地区を表す。
        「瓦」は瓦屋を表す。
        「為」は生産者を表す。
生産者     万延2年(1861)の文献に「中村為藏」と
        出て来るのが初見で、文久2年(1863)の文
        献には「瓦や為藏」と誌されていることから推測
        すると、久保地区中村垣内に生産地が存在したの
        ではないだろうか。瓦屋としての実績はあまり知
        られていない。

             図 5
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図 6
刻印(銘)    大 和刕高山 中井瓦商 ほ
         大 和刕高山 中井瓦商
瓦の種類     丸瓦、軒瓦
確認場所    法楽寺(土塀の屋根瓦及び横門の屋根瓦)
刻印の意味   「大」「ほ」は何らかの記号ではないか?
        「和刕高山」高山地区を表す。明治以前は「和刕
        添下郡高山」と呼ばれていた。(刕=州)
        「中井瓦商」生産者又は販売者を表す。
        生産者「中井瓦商」については判らない。

             図 6
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図 7
刻印(銘)    大慶
        第5回内国 勧業博覧会
        瓦商 和刕高山 有山房吉
瓦の種類    棟瓦(京箱タイプ)
確認場所    法楽寺(元御堂の棟瓦)
刻印の意味   第五回内国勧業博覧会
        は明治36年(1903)大
        阪市天王寺今宮で3月1
        日~7月31日迄開催さ
        れた。博覧会に出品され
        たと同等の瓦である。
       (参考国立国会図書館
        文書、生駒市誌Ⅲ)
生産者     「有山房吉」

         図 7
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図 8
刻印(銘)    ○谷 瓦辰
瓦の種類    丸瓦
確認場所    法楽寺(御堂跡)
刻印の意味   「○谷」は生産地を表す。
        「瓦」は瓦屋を表す。
        「辰」は生産者を表す。
生産者      生産地は「○谷」の部分が不鮮明であるが推測では「鳥」
        に見える、「鳥」とすれば「鳥谷」となり、高山
        に近い場所では「精華町東畑鳥谷」が該当する。
        名前については「辰○」ではないだろうか。
        東畑地区にも瓦屋があったことは伝承されている
        が詳しいことは判らない。

修正文
平成29年11月25日、「鳥谷」ではなく「乾谷」
        であることが判明した。その結果、生産地は「精華町乾谷」
        に修正する

           図 8
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図 9
刻印(銘)   穂瓦兵
瓦の種類   桟瓦
確認場所   本願寺(天満宮)
刻印の意味  「穂」は生産地を表す。
       「瓦」は瓦屋を表す。
       「兵」は生産者を表す。
生産者    「穂」で始まる高山に近い地域は「枚方市穂谷」
       に該当する。「兵」について、詳しいことは判ら
       ない。

             図 9
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図 10
刻印(銘)   打瓦吉
瓦の種類    軒瓦(葺き替えのため外された瓦)
確認場所    墓地(地蔵尊堂)
刻印の意味  「打」は生産地を表す。
       「瓦」は瓦屋を表す。
       「吉」は生産者を表す。
生産者    「打」で始まる高山に近い地域は「京田辺市打田」
       が該当する、名前の「吉」については判らない。

           図 10
              e0085845_11163864.jpg


































図 11
刻印(銘)   中瓦佐
瓦の種類   特殊丸瓦(葺き替えのため外された瓦)
確認場所    墓地(地蔵尊堂)
刻印の意味  「中」は生産地を表す。
       「瓦」は瓦屋を表す。
       「佐」は生産者を表す。
        生産者生産地及び生産者は判らない。

          図 11
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図 12
刻印(銘)    私瓦八
瓦の種類    鳥衾瓦、軒瓦、丸瓦、平瓦(ゴンロク)
確認場所    法楽寺(元御堂屋根瓦、横門屋根瓦)、本願寺
刻印の意味   「私」は交野市私部を表す。
        「瓦」は瓦屋を表す。
        「八」は生産者を表す。
        生産者生産者は交野市私部の「大矢八兵衛」江戸中期に
        活躍した瓦師で、法楽寺の瓦に多く使用さている
        のが見受けられる。

             図 12
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図 13
刻印(銘)    瓦師 河刕私部住人 大矢八兵衛
        文化五年 戊辰二月中旬造之
瓦の種類    鬼瓦(数珠掛鬼面タイプ)
確認場所    法楽寺御堂(御堂移動時に取り外された鬼瓦)
刻印の意味   文化5年に私部の瓦師大矢八兵衛が造ったと鬼瓦
        にへら書きされている。
生産者     瓦師大矢八兵衛は江戸中期、交野市私部で活躍し
        た瓦師で、小田原城の鬼瓦、寝屋川の法安寺の獅
        子口瓦は八兵衛の作である、交野市の寺村、森村、
        私部村、倉治村、郡津村等にも多く使用されてい
        た事実が確認されている。
         (参考交野市文化財だより13号)

             図 13
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図 14
刻印(銘)    ○波  ○天 天○○
瓦の種類     鬼瓦
確認場所    本願寺(使われていた建物は判らない)
刻印の意味   不明
生産者     不明 
        「○」の部分は風に晒されたのか確認出来ない 


           図 14
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# by kwsan | 2017-10-22 11:47 | 歴史 | Comments(0)
生駒市高山町 廃寺大雄寺 供養

 大北地区、井上垣内の廃寺大雄寺(大庵寺とも呼ばれている)で8月20日(日曜日)、毎年恒例の供養が行われた。廃寺大雄寺は、大北自治会の管理となっている、境内には児童公園の案内版もみえる。 境内は児童公園となっているので、草刈は子供会で数日前に行なわれたと、自治会長におしてもらった。
 9時前大北自治会の関係者が三々五々集まり9時には全員集合。お堂は古く、戸は壊れいるのか、お堂全体が封印された状態にある、(以前は扉が開放され、中に供物が置かれて、供養が行われた)、お堂の階段最上段に供物が置かれ、階段下の両脇に供花が1個宛と、線香が立てられ、蝋燭の灯が風に揺れている、近づくと線香の香りが漂う。境内の石仏にも供花が立てられ、蝋燭と線香が供えられ、線香の煙が漂ってくる。

 暫くして法楽寺住職が来寺、読経の前に必要な仏具を準備、自治会三役は住職の後に、役員はその後に半円に集まり、住職の読経を見守る。
読経が終わると、自治会長を先頭に参加者全員、焼香が行われた。その後、観音様、馬頭観音様の2個所で般若心経が唱えられ、供養は終了した。かんかん照りの中でのおつとめ、自治会長、役員の皆様お疲れ様でした。

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「大雄寺」は何時頃から「大庵寺」と呼ばれたのだろうか、享保17年(1732)の井上文書に見られるのが初見で、本格的に「大庵寺」と呼ばれだしたのは明治以降と考えられる。
 大庵垣内にも、その昔、お寺があったと、地元では伝承されているが、詳細は不明。当時、高山を知行していた「堀田紀一定公」の戒名は「大安全切」となっている、私考であるが大庵垣内にも「大安寺」或いは「大庵寺」と云う名の寺があったのではないだろうか。
 同じく「堀田紀一仲公」の戒名は「大雄智箭」であり、「大雄」と寺の二字が見える、また、お稲荷さんの燈籠にも「一忠公」が見られることから、私見であるが、「一仲公」の大雄寺に対する貢献度が非常に大きかったことが窺える。


 一般的に、お寺の総代や役員を長期間に渡り勤めた場合や、お寺に多額の寄附をした場合等、戒名に「院」、以外に、お寺の文字が使われることが良くあります。

 
 廃寺大雄寺の本尊は、木像地蔵菩薩立像で、大きさは2尺5寸、台座を入れると5尺3寸(約160cm)、と寺の什物に、記載されてるところから、本尊は立派な仏像であったことが窺える、残念ながら昭和51年に盗難に遭遇、現在は行方不明である。台座には「文政5午歳正月吉日本尊前立臺」(1822)の銘があり、仏像はそれ以前に造られたことが窺える。
 明和5年の有井山文書に、「禅宗和州片岡村徳雲寺末寺大雄寺境内除地 東西15間、南北20間」(一反)と誌されている、この事から広い境内であったことが判る。文献がないので定かではないが、広い境内には建造物が多くあったのではないだろうか。

 住職がお見えになるまでに屋根瓦の銘を確認したところ、観音様の祠の瓦には「高山 森岡 安早」と「高瓦房」の銘が見つかった。前者の屋号は「森岡」で後者は「どびや」である、いずれも明治頃に瓦を焼いていたことが、生駒市誌に紹介されている。現在、両家の末柄は地元には住んでいないので詳細はわからない、瓦の銘から、祠は明治以降に建立されたことが窺える。
 災害で崩壊した庫裡に、使われていたと思われる棟瓦にも「高瓦房」の銘が見つかった。庫裡は明治以降に屋根瓦に修覆されたか、新しく建立されたかのどちらかであると考えられるが、棟瓦の形状をみると、京箱形式を使用しているので庫裡は太い棟木ではなかった考えられる、とすれば葛屋根を瓦に修復したと私考する。


 最後に、行事の内容を撮らせていただくよう、当地区の自治会長にお願いしたところ、快くお許しを頂きました。心より御礼申し上げます。


参考文献 
  生駒市誌、有井山家文書、井上家文書、寛政重脩諸家譜、向露寺文書


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# by kwsan | 2017-08-28 20:41 | 歴史 | Comments(0)
かわぎり

「かわぎり(「川切り」と書くのだろうか)」と言われても意味のわかる人はいないだろう。地元でも若い人は知らない、この地に引越してきた人達は、なおさら判らない。誰がつけたのか知らないが遠い昔から何十年間も言い継がれてきた言葉である。

 昔は護岸工事がされていないため、土手の川底部分が水で削られ空洞になり、その部分がずり落ち川幅を狭くなる。その為、狭くなった部分を削り、川幅を確保、水の流れをよくし災害を防止する、と言う作業であった。
 今の言葉で言い換えれば「川掃除」と言うことになるだろうが、少し意味が違う。

 朝8時、公民館に集合と1ヶ月程前に回覧が回っていた、今後川掃除は7月第4日曜日に行う事が決まり、今回は7月23日である、
 公民館には三々五々鎌や草刈り機を担いで集まってくる、九頭神垣内(地区名)を流れる川の掃除(草刈が主な作業)について組頭(垣内の長)から説明があり、終わると決められた場所に別れ作業開始。
全ての作業が終われば組頭から自治会の連絡、報告があり宴が始まり12時前には全て帰宅する。

 田舎に住んでいると色々と助け合作業があり、みんなが集まる中で年長者から色々な事を教えられ引き継がれる、集会が少なくなった現在、歴史や民族的な言葉が消えていく、寂しいことだ。
 川掃除中には「蜂」、「ハメ(「まむし」のこと)」等に遭遇する機会が多く、今日もアシナガ蜂に刺された人がいたが大事には至らなかった、ハメも一匹捕獲、毎度のことである。昭和40年頃まで、ハメの骨は乾燥され気付け薬などに利用され、骨を買い求める業者もいた。骨を取り出す処理方法は現在も行われているかも知れないが残酷なため説明はせず。

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   草刈前の富雄川(地元では九頭神川と呼んでいる)
これでも奈良県では一級河川となっている、これで大雨でも降れば
どうなるか判ってもらえないのが現状である。

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           草刈後の富雄川
10月頃には上の写真の状態に戻る。これから台風の季節である、
全国で猛威をふるった雨が此所にも降らないとも限らない。
この川には砂防堰が数カ所あるがそれらが壊れたとき、元通りには
成らないだろう。
また、この川上には高山溜池がある。現在水量は半分ぐらいに抑え
られているが九州地方を襲ったような雨が降れば、満水になってい
なくても、満水になると考えられる。もし堤防が決壊したら地元だ
けではなく遠く奈良市当たりまで影響がでるのは確実。



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# by kwsan | 2017-07-23 22:12 | Comments(0)
黒添池、安明寺池、城の茶屋方面の散策

 平成29年6月16日、快晴に恵まれ、最高の散策日になった。
参加者は12名、出発は安明寺池からである。池の歴史については文献が乏しく戦後頃の状態の話しで終わる。
 水量は今よりも多く、水深については随分と深かった記憶がある、水は底まで澄み切って神秘に感じた。今は昔の面影全くない。
池と平行した道は広く軽四が通っているのか轍が残る、この道を奥に進むと獅子が丘住宅地に行くことが出来、そこから奥へ進むと大阪府の府民の森にから「カイガケ道」に繫がる。江戸時代には多くの人が通ったと古文書などに残る。

 池の名に寺の名が付いているのは、この付近に安明寺というお寺が存在したためであろう。明和5年の文書には、安明寺の明示があるが、どうもこの年代には安明寺跡を示しているのだろう、現在まで安明寺に関する文書は発見されていない。
 池の周辺は自然が残り珍しい昆虫や植物が見る事が出来る。
昆虫ではムカシヤンマ、大きさはオニヤンマぐらいで古代から進化していない、飛翔は幼稚で止まると羽根は閉じず、獲物を飛翔中に捕獲する現場に遭遇した事がある、成虫になるまで3年ほどかかる。

 植物では「ギンラン」「キンラン」などの植物も見られる、これらの植物は菌根菌を栄養源として生育している多年草、これらはいずれも絶滅危惧種に指定されている。

 古道、大谷道には「墓ノ谷」なる小字がある、現在は工場が数社営業している、江戸時代には数件の人家があったことが古文書から判明しているが、その末柄については不明である。現在、大谷道の一部は高山を通り抜ける道路があり、車の往来が切れ間のないほど通る。

 黒添池の樋は今はハンドル操作で開閉するが、昔は直径10cm程の棒が抜き差しすることにより操作していた。
 樋から流失する水は2方向に分離され水田に利用されている。
今は大きな問題とならないが、水田の多かった江戸時代には、左右同量の水量に分けられる仕組みが施されていた。
 水路の中央付近に三角形の島を作り頂点に向かって水を流すと二方向に水は流れる。三角形の底辺の角度を何度にするかは水路の幅との関係もあるが、正三角形が多いようである。こんな方法で水のトラブルを防いでいた、先人の苦労が偲ばれる


林の中を10分ほど進と棚田の田園に出る、此所が「城の茶屋」という小字である。昔この付近を通る旅人が休憩する茶屋があったと地元では言っている、「城の茶屋」の小字が文献に現れるのは文化文政の時代でそんなに古くはない。


 城の茶屋から東に広がる小字「美ノ渕」に「ギオマン」という地名が残っている。此所には吟右衛門なる人物が住んでいたと伝承され、先祖は京田辺から此所に作男にやって来てそのまま住み着いたとも言われている、その末柄は地元にいないが今も健在で生駒市内に住んでいる。

 此所を通り抜け急な坂道を下ると突き当たりに向露寺の墓地に出る。向露寺は元禄2年2月に達磨寺の珠岩和尚が開山、目的は本願寺山墓、円楽寺山墓を一ヶ所に集め、火葬を土葬に改葬、が目的と言われている。お堂は元禄8年傍示、向露寺原から移転と伝えられている。
 墓地の一部は「太田勘右衛門」なる人物が寄附したと言われており此所に眠る、末柄は絶えたと言われ不明。
 墓地広場には「迎え地蔵(阿弥陀如来)があり銘は台座に「宝暦七丁丑天 六月建立 之施主小森畑 有山道受」とある、棺台、前机などがあるが今は使われていない。
 他に6地蔵尊、石仏地蔵尊なども見られる、本堂横には延命観音が祀られている。昭和の終わり頃、黒添池北の酒池岩場に祀られていたのを此所に移転した。新しい観音さんである。


 暫く南進すると小字「大廣」入口の前を通り本願寺に着く。此所は高台になっており遠くまで見渡せるが南や東は大木が茂り見えない。小字「大廣」は奥の方まで見渡せる。この入口には記念碑があり昭和9年に道路拡張工事したと銘がある。小字「大廣」の奥には「大八丁池」があり、満水となると水面が青々とその深さが知れる。その奥に戦後、滝行場が造られた、西光寺住職が主体と成り月1回滝行を行ったと言われている、滝行については詳しく知る人は亡くなり、詳細はわからないが行場の跡は今も残る。

 本願寺の由緒は不詳であるが、本尊は石仏地蔵座像で銘から1505年の作と判明している。自然石六字名号碑(1610)、六字名号板碑(1632)、自然石 富士講碑(1736)、十三仏、庚申碑などが境内に列ぶ。お堂裏側には本願寺住職の石碑が7基立っている。境内には天神社の祠が有り、安永の時代に造られたと文書(明治5年)に記されており、本願寺什物(1797)には、お堂と菅原道真公の像が記載されている。

 富雄川(九頭神川)を北進して九頭神公民館に着く、此所に「愛宕山」「九頭神」の銘がある石燈籠がある、この燈籠は元々その場から50m程先に三叉路が有りその北東角にあったが道路工事のため此所に移動した。明治の初め頃には迄電気などはなかった、その頃は川筋の集落の住人が毎日交替で油を注ぎ火を点したと「有源」に記載されている。

この川筋には3ヶ所の水車が昭和43年頃まで動いていた。しかし米搗きなどの機械が発達して、川下から順番に使用されなくなり消えていった。

 ここから城の茶屋橋を渡り元来た黒添池に戻り帰宅、歩数にして1万歩ほど、散策時間は休憩時間が長いので2時間半費やした、休憩せず歩いて70分のコースである。


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# by kwsan | 2017-06-15 21:39 | 歴史 | Comments(0)
カメラが動作しなくなった

数年前に購入したFUJIFILM社FINEPIXのデジタルカメラで操作中に突然画面が真っ暗になりどのボタンも受け付けず、パソコンがかたまってしまう状態と同じになった、このカメラ今日まで何万回と使用してきたが初めての現象である。
現象を再現すると、
 ○ 撮影した画面を表示させる
 ○ 画面拡大操作を行い画面の確認を行う
 ○ 画面拡大した状態で、再度撮影した画面を表示させるボタンを押す
 ○ ボタン操作の表示がでる
 ○ この表示はすぐ消えるが今回は消えない
 ○ 次の操作は、はっきり記憶が無いが、前の画面を表示させる操作したと思う
 ○ 画面に「再生できません」と表示され画面が消え、レンズは飛び出したまま で、かたまってしまった。全てのボタンは受け付けず撮影できなくなった。
 ○ 仕方が無いので電池を抜き取り数秒後挿入
 ○ 正常に動作し、メモリには影響無。
 ○ その後何度も同じ操作を行うも、再現せず。
   この時の電池の容量は正常でした。
カメラでも、「かたまってしまうような現象」バグがあるのだと初めて体験した。


 この状態が発生した時の撮影物はお稲荷さんである。見てはならない物まで取りだして撮影中に発生した。撮るなと言う戒めなのだろうか。20枚ほど撮ったが殆どが手ぶれを起こしていた。
罰が当たったと言われても仕方がないだろう。


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# by kwsan | 2017-05-14 20:59 | その他 | Comments(0)
彼岸桜
今年の桜は何時もより開花が遅れている。昨年と今年を比較した、上が昨年3月28日の撮影、下が4月2日撮影です、昨年3月末には満開に近い状態であるが、今年は4月2日では蕾の方が多い。
 ウグイスの鳴き声も例年であれば、2月頃から聞こえてくるが、今年は3月に一度確認出来たのみ。今年は4月2日、3日に奇麗な鳴き声を聞かせてくれた、蝶の飛翔についても随分と遅れ、キチョウとムラサキシジミが今日(3日)確認出来た、馬酔木、拳などの開花も遅れた。3月の中旬頃まで例年より気温が低かったのが影響したと思う。4月2日、3日の最低気温は-0.5度で3日は霜も下りた。これから気温が急に高くなると自然界は急に春となるだろう

 昨年3月28日 撮影
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今年の4月2日撮影
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# by kwsan | 2017-04-03 17:15 | Comments(0)