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瓦の刻印の調査
2017年 10月 22日
瓦の刻印 第1回
最近は色々な瓦が造られ、メーカー名、屋号が刻印として瓦に表 示され、ロットNo 等も見受けられる。 色々な刻印を表示する事が困難であった時代、文字から製造者、 地域などが判るよう作られ、鬼瓦等はへらで必要事項が誌された。 高山地区にも数件の瓦屋が存在したと生駒市誌Ⅲに紹介されてい る。生産された瓦は主に地元で消費され、他の地域で使用されるこ とは少なかった、地元で造れない瓦などは他の地区より購入したと 考えられる。 図 1 刻印(銘) 高 森岡 安平 瓦の種類 丸瓦 平瓦、軒瓦、桟瓦 確認場所 民家、本願寺、廃寺大雄寺(観音堂) 交野市民家(交野市文化財だより13号による) 刻印の意味 「高」は高山地区を表す。 「森岡」は生産者を表す。 生産者 森岡家は、高山地区で瓦屋を営んでいたことは生 駒市誌Ⅲに紹介されているが、活躍したのは明治 以降である。末柄は戦後大阪市に移転したと聞く。 図 1 図 2 刻印(銘) 高瓦房 瓦の種類 丸瓦、 棟瓦、軒瓦、冠瓦 確認場所 民家、 廃寺大雄寺 刻印の意味 「高」は高山地区を表す。 「瓦」は瓦屋を表す。 「房」は生産者を表す。 生産者 明治初期から戦後まで活躍した瓦屋で「房吉」と いう、戦後は交野市の有山瓦屋の出張所を営んで いた。(新聞広告参照)地元では「どびや」とい う屋号で呼ばれ、末柄は平成の時代奈良市内に移 転したと聞く。屋号「どびや」が文献に現れるの は、明治10年頃で「房吉」が文献に現れるのは、 明治20年頃である。 図 2 図 3 刻印(銘) 高瓦仁 瓦の種類 桟瓦、棟瓦(京箱タイプ)、丸瓦、ゴンロク桟瓦 確認場所 民家、廃寺大雄寺 刻印の意味 「高」は高山地区を表す。 「瓦」は瓦屋を表す。 「仁」は生産者を表す。 生産者生産者名は判らないが、瓦の使用されている建造 物から明治時代の瓦屋であったことには間違いな い、刻印の種類は写真のように幾種類かあり、瓦 の種類で使い分けていたのかも知れない。 図 3 図 4 刻印(銘) 高山 瓦法橋 瓦の種類 桟瓦、軒瓦 確認場所 民家 刻印の意味 「高山」は高山地区を表す。 「瓦」は瓦屋を表す。 「法橋」は生産者の屋号を表す。 生産者 生産者「三夫」の先祖が僧侶であったところから 「法橋」の屋号が付いたと云われている。瓦屋と しての実績は文献には現れないことから、活躍し た時代は、明治の一時期であったのではないかと 考えられる。末柄は今も健在である。 図 4 図 5 刻印(銘) 高山瓦為 瓦の種類 軒瓦 確認場所 民家(井戸館) 刻印の意味 「高山」は高山地区を表す。 「瓦」は瓦屋を表す。 「為」は生産者を表す。 生産者 万延2年(1861)の文献に「中村為藏」と 出て来るのが初見で、文久2年(1863)の文 献には「瓦や為藏」と誌されていることから推測 すると、久保地区中村垣内に生産地が存在したの ではないだろうか。瓦屋としての実績はあまり知 られていない。 図 5 図 6 刻印(銘) 大 和刕高山 中井瓦商 ほ 大 和刕高山 中井瓦商 瓦の種類 丸瓦、軒瓦 確認場所 法楽寺(土塀の屋根瓦及び横門の屋根瓦) 刻印の意味 「大」「ほ」は何らかの記号ではないか? 「和刕高山」高山地区を表す。明治以前は「和刕 添下郡高山」と呼ばれていた。(刕=州) 「中井瓦商」生産者又は販売者を表す。 生産者「中井瓦商」については判らない。 図 6 図 7 刻印(銘) 大褒 第5回内国 勧業博覧会 瓦商 和刕高山 有山房吉 瓦の種類 棟瓦(京箱タイプ) 確認場所 法楽寺(元御堂の棟瓦) 刻印の意味 第五回内国勧業博覧会 は明治36年(1903)大 阪市天王寺今宮で3月1 日~7月31日迄開催さ れた。博覧会に出品され たと同等の瓦である。 (参考国立国会図書館 文書、生駒市誌Ⅲ) 生産者 「有山房吉」 図 7 図 8 刻印(銘) ○谷 瓦辰 瓦の種類 丸瓦 確認場所 法楽寺(御堂跡) 刻印の意味 「○谷」は生産地を表す。 「瓦」は瓦屋を表す。 「辰」は生産者を表す。 生産者 生産地は「○谷」の部分が不鮮明であるが推測では「鳥」 に見える、「鳥」とすれば「鳥谷」となり、高山 に近い場所では「精華町東畑鳥谷」が該当する。 名前については「辰○」ではないだろうか。 東畑地区にも瓦屋があったことは伝承されている が詳しいことは判らない。 修正文 平成29年11月25日、「鳥谷」ではなく「乾谷」 であることが判明した。その結果、生産地は「精華町乾谷」 に修正する 図 8 図 9 刻印(銘) 穂瓦兵 瓦の種類 桟瓦 確認場所 本願寺(天満宮) 刻印の意味 「穂」は生産地を表す。 「瓦」は瓦屋を表す。 「兵」は生産者を表す。 生産者 「穂」で始まる高山に近い地域は「枚方市穂谷」 に該当する。「兵」について、詳しいことは判ら ない。 図 9 図 10 刻印(銘) 打瓦吉 瓦の種類 軒瓦(葺き替えのため外された瓦) 確認場所 墓地(地蔵尊堂) 刻印の意味 「打」は生産地を表す。 「瓦」は瓦屋を表す。 「吉」は生産者を表す。 生産者 「打」で始まる高山に近い地域は「京田辺市打田」 が該当する、名前の「吉」については判らない。 図 10 図 11 刻印(銘) 中瓦佐 瓦の種類 特殊丸瓦(葺き替えのため外された瓦) 確認場所 墓地(地蔵尊堂) 刻印の意味 「中」は生産地を表す。 「瓦」は瓦屋を表す。 「佐」は生産者を表す。 生産者生産地及び生産者は判らない。 図 11 図 12 刻印(銘) 私瓦八 瓦の種類 鳥衾瓦、軒瓦、丸瓦、平瓦(ゴンロク) 確認場所 法楽寺(元御堂屋根瓦、横門屋根瓦)、本願寺 刻印の意味 「私」は交野市私部を表す。 「瓦」は瓦屋を表す。 「八」は生産者を表す。 生産者生産者は交野市私部の「大矢八兵衛」江戸中期に 活躍した瓦師で、法楽寺の瓦に多く使用さている のが見受けられる。 図 12 図 13 刻印(銘) 瓦師 河刕私部住人 大矢八兵衛 文化五年 戊辰二月中旬造之 瓦の種類 鬼瓦(数珠掛鬼面タイプ) 確認場所 法楽寺御堂(御堂移動時に取り外された鬼瓦) 刻印の意味 文化5年に私部の瓦師大矢八兵衛が造ったと鬼瓦 にへら書きされている。 生産者 瓦師大矢八兵衛は江戸中期、交野市私部で活躍し た瓦師で、小田原城の鬼瓦、寝屋川の法安寺の獅 子口瓦は八兵衛の作である、交野市の寺村、森村、 私部村、倉治村、郡津村等にも多く使用されてい た事実が確認されている。 (参考交野市文化財だより13号) 図 13 図 14 刻印(銘) ○波 ○天 天○○ 瓦の種類 鬼瓦 確認場所 本願寺(使われていた建物は判らない) 刻印の意味 不明 生産者 不明 「○」の部分は風に晒されたのか確認出来ない 図 14
by kwsan
| 2017-10-22 11:47
| 歴史
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