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自然と歴史
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自然の中に歴史がある

by kwsan
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嘉永の椀入れ

 本願寺お堂に使わな無くなった小さい木箱(295W×154W×235H×10T 杉板で作られている)がある。これには以下の銘がある。

      
      嘉永二酉年 五月四日求之 (1849)
      常楽寺 祐善代
      朱 菓子椀十人前入

 
箱に記載された常楽寺は、何処にあるのか、これだけでは見当が付かない。まず本寺の法楽寺文書を調べると、常楽寺に関する文書が7点ほど見つかった。これらの文書は常楽寺が受け取った文書で法楽寺とは何ら関係のない文書である。何故、法楽寺に保存されているのかは判らないが、文書には年代を表す文字や、住職(祐善)なる人物を確定する文字もない、「常楽寺 郡山9条平野町」と場所は記載されている。
 調べると、現在の大和郡山市九条平野町、であることが判った。大和郡山市の歴史事典によると、「平野町は天明6年(1786)の調査で、町の長さ171間5尺、道幅2間半、持家76軒、借家58軒となっている、明治17年、九条村に、何和町、平野町が合併し九条村と改称。常楽寺は真言宗仁和寺末で、現在、廃寺(廃寺期不明)になっており、平野西山にあって寛文年間(1661-1673)僧英秀中興と伝えられている。」


次に、僧侶については、本願寺の「仏涅槃図」に「祐善」の名がみえ、文化14年(1817)とある。また法楽寺文書「祈祷御土祭之法」にも見えるが年代の記載は無い。箱に書かれている僧侶「祐善」は1850年頃に生存した僧侶と考えられるが、法楽寺文書や本願寺の仏涅槃図の「祐善」と箱に見られる「祐善」と同一人物かどうかは不明。

此の箱が何故本願寺に残されているのか、又本願寺に何時頃持ってこられたかについては不明。法楽寺住職によると、昔、寺で大きな行事を行う時、必要な品物がない場合、寺間で借り貸しを行うが返却を忘れたりすることがある、又寺が廃寺となると、寺の什物は必然的に他の寺に移動する。事も考えられる。


 今回の調査で判明したことは、常楽寺が大和郡山に存在した史実のみで、他の内容については今後の調査に期待する。

参考文献
 法楽寺文書、歴史事典(ふるさと大和郡山)

嘉永の椀入れ_e0085845_21415073.jpg
嘉永の椀入れ_e0085845_21442336.jpg


by kwsan | 2016-11-26 21:48 | 歴史