自然と歴史
kwsan.exblog.jp

自然の中に歴史がある
Calendar
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
画像一覧
最新の記事
第5回 瓦の刻印 調査 
at 2018-05-30 09:29
瓦の刻印 第4回
at 2018-03-01 08:27
瓦の刻印 3
at 2018-02-18 21:37
瓦刻印 第2回
at 2017-12-16 20:17
瓦の刻印の調査
at 2017-10-22 11:47
生駒市高山町 廃寺大雄寺 供養
at 2017-08-28 20:41
かわぎり
at 2017-07-23 22:12
黒添池、安明寺池、城の茶屋方..
at 2017-06-15 21:39
カメラが動作しなくなった
at 2017-05-14 20:59
彼岸桜
at 2017-04-03 17:15
年代の調査

 生駒市高山町の本願寺で、写真のような文字が書かれた、板きれ(280?×139×6の杉板)1図を、堂内で発見、はたして之は何時頃の代物だろうか調査する。

1図から、   ○3癸酉歳   東光寺
         ○月28日     兼持時
      ○福寺什物    祐遍求之
となり、お寺のお椀などが保管されていた箱の底と思われる。
     
            1図

e0085845_21125352.jpg


 板きれに書かれた寺院は「東光寺」「○福寺」の二寺、これらのお寺が何処にあるか調べると、別の箱に「東光寺 南田原村 祐慶」と書かれているのが見つかる。


 奈良県と大阪府の府県境を流れている天の川付近一帯を中世では、田原鄕と呼ばれ後に田原西郷、田原東郷、になり、田原西郷は西田原村、田原東郷は東田原村と呼ばれ、西田原村(現四条畷市)は慶安4年(1651)に下田原村、上田原村に分離、東田原村(現生駒市)は延宝6年(1678)北田原村、南田原村に分離。と言うことが判った。その南田原村には「岩藏寺」がありその境内に現在は廃寺となった東光寺、真福寺、常福寺が見つかった。「兼持時」と書いていることから二つの寺院は近くにあると考えられるので「○福寺什物」と書かれた寺院は「真福寺」か「常福寺」のどちらかであると思われる。


                2図

e0085845_21133931.jpg
 次に2図に「癸酉(みずのととり)歳」とある干支について年代を調べると  「永正10年(1513)」、「天正元年(1573)」、「寛永10年(1633)」、「元禄6年(1693)」、「宝暦3年(1753)」、「文化10年(1813)」、「明治6年(1873)」、の歳が上げられ、「○○三」とあるので年代は「宝暦三年」と考えられるが、3図から「三」の上の文字は「暦」に見えない。


3図  
e0085845_21141144.jpg

次に板きれの文字は「祐遍」なる僧侶が書いたことには間違いないが、「祐遍」について年代を割りだそうと考えたが、その史料は見つからなかった。しかし、別の箱には「祐慶」の僧侶の名がみえる、「祐遍」と「祐慶」は子弟の関係ではないかと考え、「祐慶」について法楽寺文書を調べると、元文元年(1736)と亨和2年(1802)の古文書に見える、生駒市誌には天保10年(1839)に「法印祐慶」が見える。しかし、「祐慶」と「法印祐慶」は100年あまりの開きがあるため同一人物とは考えにくい。


以上の様に色々と調べたが「○福寺」及び年代は最後まで確定出来なかったが年代は1750年頃ではないかと思える。
コメントいただけば幸いです。



[PR]
by kwsan | 2016-11-15 21:31 | 歴史 | Comments(0)