人気ブログランキング |
自然と歴史
kwsan.exblog.jp
Calendar
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
画像一覧
最新の記事
瓦の刻印 第6回
at 2018-12-12 18:31
第5回 瓦の刻印 調査 
at 2018-05-30 09:29
瓦の刻印 第4回
at 2018-03-01 08:27
瓦の刻印 3
at 2018-02-18 21:37
瓦刻印 第2回
at 2017-12-16 20:17
瓦の刻印の調査
at 2017-10-22 11:47
生駒市高山町 廃寺大雄寺 供養
at 2017-08-28 20:41
かわぎり
at 2017-07-23 22:12
黒添池、安明寺池、城の茶屋方..
at 2017-06-15 21:39
カメラが動作しなくなった
at 2017-05-14 20:59
富雄川2(宮方地区)

1.宮方地区
 宮方地区は東に鹿畑、西に北田原、南に芝、北に久保の各地区に挟まれた複雑な谷の少ない丘陵地域である。自治構成は、尾谷川を挟んで北側を北垣内、南側を南垣内と呼ばれ、二つの垣内からなっており、近年北垣内を2地区、南垣内を2地区に分け地区毎に評議員が選出されている、現在の戸数は約80戸である。

 歴史上「宮形(宮方)」の文字が文献に現れるのは「興福寺雑役免帳」(延久2年1070)と言われているが、宮方は、古代地名で、「ミヤガタ」は「ミアガタ」の変音で「条」「坪」等の地名が見当たらないことから条里制村落ではなく「大化の改新」以前には既に集落が存在したと考えられている(高山地名考より)。又一説には県(アガタ)「皇室の料地」の一部とする説や「御矢方」として矢作り部に起因する地名という説もあるが定かではない。又「宮形」はお宮の屋形があった場所という意味にも取れる。

 高山地区には「鳥」の付く地名が多く見受けられ、宮方もそれにもれず「とや(鳥屋)」と言う地名が残っている。そこには鷹を飼育する小屋があったのではないだろうか。そのことから何時とはなく「とや(鳥屋)」と呼ぶようになったと私考する。


2.宮方地区の富雄川
 宮方地区の西寄りを流れる富雄川は東側に田畑が続き、西側には市道7号線が平行している、途中に砂防堰(地元では「どんど」と呼んでいる)が、西山からの流れと合流する付近、尾谷川との合流付近の2ヶ所に造られている。砂防堰の影響で流れは緩やかである。宮方橋付近から少し東へ曲がって市道7号線とは離れ芝地区へ流れる。
 
 天保絵図に、宮方地区から富雄川への流れは2ヶ所が記載されている。その一つに西山の谷(富雄川の西側にあるので西山と呼ばれているのであろうか?)からの流れがある、その流れを遡って行くと、一面棚田が続く場所(昔は谷であったろうと思われる)に出る。前方の頂きに関西電力の変電所が見え、変電所の斜面を縦断して南北に道路が通り、それ以上は進めない、昔はこの付近に流れの源があったのだろう、道路より下へ続く斜面には棚田が広がる、その中に小さな清水の流れが富雄川に合流している。流れは見つけにくいが、この流れは宮方地区と久保地区の境界にもなっている。

 もう一つの流れを地元では尾谷川(オダンガワ)と呼んでいるが、水源ははっきりしない。現在、尾谷、切り池、二の谷、くまが谷、等の谷からの流れが、宮方地区内で合流し一筋の流れとなって富雄川に流れ込んでいる。雨が降ると、水量が多くなるのだろうか、富雄川との合流付近では、川幅広くコンクリート造りである。天保絵図ではこの川に沿うて道があり、途中から北へ延び「ミヤガタ神社(モリサン)」の周辺を通り久保橋に至る。


3.橋
 現在、宮方地区の橋は、宮方バス停前の橋、元北消防署前の橋、の2ヶ所である。


 現在、宮方に通じる主道の橋は、宮方バス停(奈良交通)前の橋で、道標が立っており「みやかたはし」の銘がある、裏面に「昭和・・」の文字が見えるが、それ以外の文字はガードレールに隠れ確認出来ない。生駒市誌Ⅴには戦後架けられたと記載されている。地元の人に依ると、現在の高山大橋(国道163)付近にあった橋を宮方に移動したとも聞く。また、此の橋は地元の村会議員をしていた人が戦後寄附したという話も聞く。
現在の橋が架けられる前は川面近くに2枚の板を並べた状態であったと地元で聞く。


 天保絵図の「小字久保」地区(現在は宮方地区と思われる?)付近に架けられている橋が、大和国町村誌集では「久保橋(現在地元では西山橋と呼ばれている)」となっている。又明治時代には「宮方橋」と呼んでいたことが古文書に見える。この橋は久保地区と宮方地区の境界で、現在の宮方橋より北に位置し、元北消防署前にある。


 私見であるが、江戸時代、この橋を渡らないと対岸に行けなかった事から、「ミヤガタ神社(モリサン)」への参道で在ったとも考えられる、年代は定かでないが、二百数十年前には、既に存在していたと考えられる。
 旧生駒北中学校西にあった「安養寺」への参道として使用されたことも窺える。

 現在の宮方橋が出来る迄、高山の多くの人達が、大いにこの橋を渡り賑やかであった事と思う、現在、久保橋は、静かになり、賑やかだった昔を事を思い出しているのかもしれない。


4.ミヤガタ神社
  久保橋の東の山手に登ると、久保地区との境界近くに「ミヤガタ神社」が鎮座している。「ミヤガタ神社」を地元では「モリサン(杜山神社)」と呼んでいる。「モリサン」の創建や由来の伝承は幾つかあるが、古文書としての文献はなく詳しいことは判らない。祀られているご神体は、不詳であるが「森神」信仰と考えられる。

 山崎清吉氏は「高山地名考」で「宇佐見から遠路はるばると御入京の八幡神は、途次、高山で暫し御駐輦になり、御駐輦の御用に供した頓宮(便殿)は即ち高山八幡宮の創祀発生です。斯して、それまでの鎮守ミヤガタ神社は、主座を八幡宮に譲ることになる。」と書いている。
地元では、高山八幡宮創建以前「高山」の中心にあって「高山」の氏神様であったと、伝承されている。


 境内入口の鳥居には、昭和の終わり頃、地元の方が奉納されたのであろう個人の名が見える、灯籠の正面右には「宮県」左の灯籠には「大神」と刻まれ、裏面には昭和43年に奉納された地元老人クラブの名前が見える、境内には「西国33ヶ所順礼碑」があり「種子 奉納西国33ヶ所順礼 正月18日」の銘がある、種子は十一面観音と思われる、江戸期にモリサンに奉納されたものと考えられる。
 隣には舟型地蔵尊も祀られ、地蔵尊の首付近から破損したのであろうか継ぎ目が痛々しい、この損壊は明治の廃仏毀釈によるものであろう。


 祭りは「百灯明」と呼ばれ、神職に関係なく地元民で行われ、9月23日の夕刻から始まる。準備は自治会三役と当日の当番等によって準備され、参拝者が集まると、自治会長によって道師が決められる、道師が決ると般若心経を10回唱和する、回数を間違わないように道師の前に白い石が10個置かれ、唱和終了毎に石を移動させ回数を確認し、10回唱和すると直会に移る。
 昭和44年に新調された、直会に使用する道具入れの箱の蓋には「森講什物 宮方区」とある。


 12月15日に宮方地区公民館で自治会の総会が開かれ、終了後「森講」の総会が開かれる。そこで次年度の神社の当番2名が決められる、当番は1名宛半年ごとに神社の奉仕に当たる。ただし「ブク(注)」のかかった家は当番が決められる頃には席を立つ習わしになっている。
 「もりさん」の管理は地元の自治会が行い、毎月1日と15日には自治会役員が清掃している。老人会も2ヶ月に1度清掃していると聞く。


 私見であるが「モリサン」は「杜山神社」の文字で表されている通り神社で祝詞をあげるものと思われるが、般若心経を唱えたり、「ブク」という言葉があることから「モリサン」は神仏習合と考えられる。また、山崎清吉氏よると「モリサン」は高山八幡宮より古く、地元の神社であったと「高山地名考」にと書いている、このことから千数百年前には既に祭られており、「高山地方」の起源は宮方周辺から始まったと考えてもおかしくはない。


5.墓地
 宮方には裏山墓地と上墓地がある、これらは人家の近くにあり公共の墓地ではなく、個人か、数軒の共同墓地である。内容についての説明は控える。


 「注」 ブク(「仏供」と書く)とは仏に供える物、特に米飯を意味する、又神に供える食べ物を神饌と言う。
此所でのブクの意味は「喪」の期間中の家と思われる。


参考文献
高山地名考(山崎清吉著)、大和国町村誌集、
高山文化研究会資料 天保14年絵図(天保絵図)、
祖霊と聖霊の祭場(高田照世著)、奈良県の地名辞典、
続 ふるさと生駒大和の地政と私(藤本寅雄著)、
生駒市文化財調査報告書第20集(生駒市教育委員会)、
生駒市誌 Ⅴ(生駒市教育委員会)、
生駒の祭礼(生駒市教育委員会)、
生駒市石造遺物調査報告書(生駒市教育委員会)、
仏壇のはなし(谷口幸璽著)、世界百科事典及び各種百科辞典、
新高山88ヶ所案内記(明治34年作成)。

e0085845_20443573.jpg

            ミヤガタ神社(杜山神社)

e0085845_20451064.jpg

       みやかたばし(道標には昭和の文字が見える)

e0085845_20472725.jpg

久保橋(昔は宮方橋と今は西山橋と呼ばれている)

e0085845_20464840.jpg
            尾谷川(オダン川と呼ばれている)
e0085845_20460451.jpg
              富雄川のさ砂防堰


by kwsan | 2016-10-14 21:12 | 歴史 | Comments(0)