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2017年 02月 05日
1.富雄川(芝地区) 富雄川に流れ込む流れは、天保絵図に稲葉(現在は稲葉と奈良口が合併して稲奈と呼ばている)の頂からの流れが一ヶ所みられる、流れは現在も同じである。稲奈地区内の流れは途中から暗渠になっており、富雄川に接続する部分は、対岸から確認出来る。元々此の地区は、深い谷が少なく、丘のような地形が続き、湧水の流れが少ない地形であったと考えられる。 天保絵図に描かれている稲葉の流れ、富雄川の接続用の暗渠の出口 平成26年の災害で農協前の橋は、流失したが、その後、修復された。この橋は元々農道だと思われる。天保絵図ではその付近まで道があるが、橋は描かれていない、大和国町村誌集にも見当たらない事から川面に掛かる丸太の橋だったとも考えられる。 新しくなった芝橋 西向橋は天保の絵図に描かれているが、絵図には名前は記載されていない、江戸期、西向橋は芝から白谷、南田原へ抜ける主要道路であったとことが天保絵図から読み取れる。元々この橋は本道路より下に架かっており川面の近くにあった。護岸工事と供に道路と平行に架けられた。 新しくなった西向橋 芝地区は江戸期には、郡山街道(郡山-高山芝―傍示)が南北に通り、東に一条街道から平城に至る、また一条街道から伊賀街道にもつながり伊賀上野に至る、西に向かえば北田原を通り清滝街道から四条畷(明治頃は甲司村と言った)に至る、また、西向橋を渡れば南田原をへて古堤街道、善根街道などに接続、東大阪、大東市に繋がった。 昭和の初め頃まで、芝橋付近には色んな商店や旅籠が並び高山地区の歓楽街の一つでもあった。大軌鉄道(現在の近畿日本鉄道)が出来た頃から、地元古老から聞いた話であるが、芝には馬車タクシーがあって、タクシ-は芝から富雄駅まで運用された、馬小屋と馬車置き場が、理髪店があった付近にあったと聞く。その後、馬車から自動車に代わったが、どんな人物が利用したのだろう。又明治の頃、芝在住の医者の往診(高船、打田、等の遠方)は馬で行われていたと生駒市誌に紹介されている。 4.天満神社 天神さんの石柱(発起奈良口組合と読める) 天神さん(階段を上がると鳥居・灯籠・神殿が見える) 天神さんの灯籠(金毘羅大権現と読める) 携帯電話のアンテナ 天神祭は稲奈垣内民で8月25日に行われる、当日、垣内の当番は境内の清掃と照明等の準備、S家(土地所有者)当主は、S家に集められた供物と神饌を御供えする。 注1 金毘羅大権現とは薬師如来の12神将の筆頭神、宮比羅大将のことでガンジス川に棲息する鰐を神格かした「クンビーラ(マカラ)」と言われている、水に縁があり海難、雨乞の守護を司る。
稲葉の権現さん、正面に板碑、西国33ヶ所礼拝碑が見える。 祭りは7月23日午後7時から行われ、直会は南側の空き地(現在は畑)で行われていたが集会場が出来た頃から集会場で行われるようになった。
お寺の入り口には、小さな地蔵屋形があり、その中に頭部欠損の道標地蔵が祀られている、「道標地蔵立像」には「右 いが 左 かたの」とあり、「道標地蔵」には「右 きづ いが 左 大坂」と読める。これらの地蔵尊は、芝橋のたもとに建てられていたものであろうか。 芝地区には上記以外にも墓所、石仏など、多く史跡が存在する。今後の調査課題とする。
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by kwsan
| 2017-02-05 11:39
| 歴史
2017年 01月 27日
5.「寺請け証文」の内容
「寺請け証文」について、色々と分析したが試料が満足行く数量でないため、正確さをかく部分もただあるが、方向性は示せたと考えている。今後の発表される文献に期待したい。これを以て「寺請け証文」の分析は終わる。
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by kwsan
| 2017-01-27 14:31
| 歴史
2017年 01月 22日
図16~27は、図5の件数の多い地域、奈良市、生駒市、枚方市、精華町、京田辺市の宗派別証文件数と宗派別寺院数を比較したものである。
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by kwsan
| 2017-01-22 16:06
| 歴史
2017年 01月 22日
4.「寺請け証文」の作成寺院の宗派
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by kwsan
| 2017-01-22 15:49
| 歴史
2017年 01月 18日
3.「寺請け証文」の発信地は何処か?
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by kwsan
| 2017-01-18 20:53
| 歴史
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