自然と歴史
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自然の中に歴史がある
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本願寺開帳
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生駒市高山町の本願寺に寛政以前から秘仏として祀られている、石造地蔵菩薩が近年閏年に扉が開けられ平成28年11月19日午後1時頃から法要が営まれる。 開帳されている時間帯は午前10時から3時まで、法要中は室内に入室出来ませんがそれ以外は入室して拝観できます。 石造地蔵菩薩には「永正元年」の銘があり興味のある方は来寺下さい。

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# by kwsan | 2016-11-07 20:52 | 歴史 | Comments(0)
境内の草刈
毎年本願寺境内の草刈が11月に行われる。それが今日1時からである、今回は、草刈と樹木伐採作業が追加された。道路にはみ出した枝、畑にせり出した枝等が周辺の方から伐採して欲しいとの要望が前前から出ていたが、中々その機会が無く今日実施された。草刈は数日前に50%程は済ませていたので、作業は伐採作業が主となった。畑にはみ出した樹木の付近にはオオスズメばち(親指大の蜂で地元では「ドンバチ」と呼んでいる)の巣が有り、此の季節でも蜂は攻撃してくる、伐採した樹木を引きずり出すとき、蜂の入り口部分を壊してしまったため、何十匹もの蜂が周囲に飛び出し、伐採作業を中断せざるを得なかった。
4時過ぎには全ての伐採作業は終了、今迄に無いほど時間が掛かったが要望の樹木伐採は全て完了した。
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# by kwsan | 2016-11-06 21:31 | その他 | Comments(0)
富雄川2(宮方地区)

1.宮方地区
 宮方地区は東に鹿畑、西に北田原、南に芝、北に久保の各地区に挟まれた複雑な谷の少ない丘陵地域である。自治構成は、尾谷川を挟んで北側を北垣内、南側を南垣内と呼ばれ、二つの垣内からなっており、近年北垣内を2地区、南垣内を2地区に分け地区毎に評議員が選出されている、現在の戸数は約80戸である。

 歴史上「宮形(宮方)」の文字が文献に現れるのは「興福寺雑役免帳」(延久2年1070)と言われているが、宮方は、古代地名で、「ミヤガタ」は「ミアガタ」の変音で「条」「坪」等の地名が見当たらないことから条里制村落ではなく「大化の改新」以前には既に集落が存在したと考えられている(高山地名考より)。又一説には県(アガタ)「皇室の料地」の一部とする説や「御矢方」として矢作り部に起因する地名という説もあるが定かではない。又「宮形」はお宮の屋形があった場所という意味にも取れる。

 高山地区には「鳥」の付く地名が多く見受けられ、宮方もそれにもれず「とや(鳥屋)」と言う地名が残っている。そこには鷹を飼育する小屋があったのではないだろうか。そのことから何時とはなく「とや(鳥屋)」と呼ぶようになったと私考する。


2.宮方地区の富雄川
 宮方地区の西寄りを流れる富雄川は東側に田畑が続き、西側には市道7号線が平行している、途中に砂防堰(地元では「どんど」と呼んでいる)が、西山からの流れと合流する付近、尾谷川との合流付近の2ヶ所に造られている。砂防堰の影響で流れは緩やかである。宮方橋付近から少し東へ曲がって市道7号線とは離れ芝地区へ流れる。
 
 天保絵図に、宮方地区から富雄川への流れは2ヶ所が記載されている。その一つに西山の谷(富雄川の西側にあるので西山と呼ばれているのであろうか?)からの流れがある、その流れを遡って行くと、一面棚田が続く場所(昔は谷であったろうと思われる)に出る。前方の頂きに関西電力の変電所が見え、変電所の斜面を縦断して南北に道路が通り、それ以上は進めない、昔はこの付近に流れの源があったのだろう、道路より下へ続く斜面には棚田が広がる、その中に小さな清水の流れが富雄川に合流している。流れは見つけにくいが、この流れは宮方地区と久保地区の境界にもなっている。

 もう一つの流れを地元では尾谷川(オダンガワ)と呼んでいるが、水源ははっきりしない。現在、尾谷、切り池、二の谷、くまが谷、等の谷からの流れが、宮方地区内で合流し一筋の流れとなって富雄川に流れ込んでいる。雨が降ると、水量が多くなるのだろうか、富雄川との合流付近では、川幅広くコンクリート造りである。天保絵図ではこの川に沿うて道があり、途中から北へ延び「ミヤガタ神社(モリサン)」の周辺を通り久保橋に至る。


3.橋
 現在、宮方地区の橋は、宮方バス停前の橋、元北消防署前の橋、の2ヶ所である。


 現在、宮方に通じる主道の橋は、宮方バス停(奈良交通)前の橋で、道標が立っており「みやかたはし」の銘がある、裏面に「昭和・・」の文字が見えるが、それ以外の文字はガードレールに隠れ確認出来ない。生駒市誌Ⅴには戦後架けられたと記載されている。地元の人に依ると、現在の高山大橋(国道163)付近にあった橋を宮方に移動したとも聞く。また、此の橋は地元の村会議員をしていた人が戦後寄附したという話も聞く。
現在の橋が架けられる前は川面近くに2枚の板を並べた状態であったと地元で聞く。


 天保絵図の「小字久保」地区(現在は宮方地区と思われる?)付近に架けられている橋が、大和国町村誌集では「久保橋(現在地元では西山橋と呼ばれている)」となっている。又明治時代には「宮方橋」と呼んでいたことが古文書に見える。この橋は久保地区と宮方地区の境界で、現在の宮方橋より北に位置し、元北消防署前にある。


 私見であるが、江戸時代、この橋を渡らないと対岸に行けなかった事から、「ミヤガタ神社(モリサン)」への参道で在ったとも考えられる、年代は定かでないが、二百数十年前には、既に存在していたと考えられる。
 旧生駒北中学校西にあった「安養寺」への参道として使用されたことも窺える。

 現在の宮方橋が出来る迄、高山の多くの人達が、大いにこの橋を渡り賑やかであった事と思う、現在、久保橋は、静かになり、賑やかだった昔を事を思い出しているのかもしれない。


4.ミヤガタ神社
  久保橋の東の山手に登ると、久保地区との境界近くに「ミヤガタ神社」が鎮座している。「ミヤガタ神社」を地元では「モリサン(杜山神社)」と呼んでいる。「モリサン」の創建や由来の伝承は幾つかあるが、古文書としての文献はなく詳しいことは判らない。祀られているご神体は、不詳であるが「森神」信仰と考えられる。

 山崎清吉氏は「高山地名考」で「宇佐見から遠路はるばると御入京の八幡神は、途次、高山で暫し御駐輦になり、御駐輦の御用に供した頓宮(便殿)は即ち高山八幡宮の創祀発生です。斯して、それまでの鎮守ミヤガタ神社は、主座を八幡宮に譲ることになる。」と書いている。
地元では、高山八幡宮創建以前「高山」の中心にあって「高山」の氏神様であったと、伝承されている。


 境内入口の鳥居には、昭和の終わり頃、地元の方が奉納されたのであろう個人の名が見える、灯籠の正面右には「宮県」左の灯籠には「大神」と刻まれ、裏面には昭和43年に奉納された地元老人クラブの名前が見える、境内には「西国33ヶ所順礼碑」があり「種子 奉納西国33ヶ所順礼 正月18日」の銘がある、種子は十一面観音と思われる、江戸期にモリサンに奉納されたものと考えられる。
 隣には舟型地蔵尊も祀られ、地蔵尊の首付近から破損したのであろうか継ぎ目が痛々しい、この損壊は明治の廃仏毀釈によるものであろう。


 祭りは「百灯明」と呼ばれ、神職に関係なく地元民で行われ、9月23日の夕刻から始まる。準備は自治会三役と当日の当番等によって準備され、参拝者が集まると、自治会長によって道師が決められる、道師が決ると般若心経を10回唱和する、回数を間違わないように道師の前に白い石が10個置かれ、唱和終了毎に石を移動させ回数を確認し、10回唱和すると直会に移る。
 昭和44年に新調された、直会に使用する道具入れの箱の蓋には「森講什物 宮方区」とある。


 12月15日に宮方地区公民館で自治会の総会が開かれ、終了後「森講」の総会が開かれる。そこで次年度の神社の当番2名が決められる、当番は1名宛半年ごとに神社の奉仕に当たる。ただし「ブク(注)」のかかった家は当番が決められる頃には席を立つ習わしになっている。
 「もりさん」の管理は地元の自治会が行い、毎月1日と15日には自治会役員が清掃している。老人会も2ヶ月に1度清掃していると聞く。


 私見であるが「モリサン」は「杜山神社」の文字で表されている通り神社で祝詞をあげるものと思われるが、般若心経を唱えたり、「ブク」という言葉があることから「モリサン」は神仏習合と考えられる。また、山崎清吉氏よると「モリサン」は高山八幡宮より古く、地元の神社であったと「高山地名考」にと書いている、このことから千数百年前には既に祭られており、「高山地方」の起源は宮方周辺から始まったと考えてもおかしくはない。


5.墓地
 宮方には裏山墓地と上墓地がある、これらは人家の近くにあり公共の墓地ではなく、個人か、数軒の共同墓地である。内容についての説明は控える。


 「注」 ブク(「仏供」と書く)とは仏に供える物、特に米飯を意味する、又神に供える食べ物を神饌と言う。
此所でのブクの意味は「喪」の期間中の家と思われる。


参考文献
高山地名考(山崎清吉著)、大和国町村誌集、
高山文化研究会資料 天保14年絵図(天保絵図)、
祖霊と聖霊の祭場(高田照世著)、奈良県の地名辞典、
続 ふるさと生駒大和の地政と私(藤本寅雄著)、
生駒市文化財調査報告書第20集(生駒市教育委員会)、
生駒市誌 Ⅴ(生駒市教育委員会)、
生駒の祭礼(生駒市教育委員会)、
生駒市石造遺物調査報告書(生駒市教育委員会)、
仏壇のはなし(谷口幸璽著)、世界百科事典及び各種百科辞典、
新高山88ヶ所案内記(明治34年作成)。

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            ミヤガタ神社(杜山神社)

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       みやかたばし(道標には昭和の文字が見える)

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久保橋(昔は宮方橋と今は西山橋と呼ばれている)

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            尾谷川(オダン川と呼ばれている)
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              富雄川のさ砂防堰


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# by kwsan | 2016-10-14 21:12 | 歴史 | Comments(0)
蜘蛛
毎年、この季節になると見かけるジョロウグモ、今年は何故か何時もの年より多く見かける、軒下、庭先等に巣が張られ、眼鏡などに巣が引っかかると中々取れない。噛まれることはないと思うが、あまり気持ちの良いものではない。今年は何故多いのか判らないが、自然界の何かが狂ったのかも知れない。
9月初め頃にモズの鳴き声を聞いたが、この18日にはミンミンゼミも鳴いていた、季節感が判らなくなってくる。

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# by kwsan | 2016-09-29 08:09 | その他 | Comments(0)
事故死
6日夕刻、夕立が30分ほど続いた、雨量は50mm程、久しぶりの大雨である、雨も止んで、東の空には虹も現れ、ウォーキングには最適と出掛けた。川の水は茶色く濁りすごい勢いで流れている。
 川上に向かって歩いて行くと、道路の真ん中に、紐のような物が落ちている。近づいて確かめると、丸々と太った「はめ」(地元では「まむし」を「はめ」と呼んでいる)である、丸くなっているのでこわごわ覗いてみると既に逝っている、雨が降ったので餌を求め出てきたのだろうが、運悪く車にひかれて即死、毎年この付近の道路に出没し、人間様を脅かせる。

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# by kwsan | 2016-09-06 20:32 | 爬虫類 | Comments(0)
不思議な事件 その2
昨日(8月9日)毎月恒例の生駒グランドゴルフ協会の月例会があった、試合開始前に参加者全員が集合して説明がなされる。説明を聞いていると突然、左足が外側に引っ張られる、この現象はブログ2月24日(その二)の現象と同じ、体の方向を変えると起こらない、戻すとやはり引っ張られる。
位置を変え引っ張られない位置へ移動した。
 この現象は2月以降、百貨店の売店、スーパーの花売り場(彼岸の日)、半月前ウオーキング途中の立ち話中(この近くでは数年前死亡事故があった)の3回遭遇した。その後同じ場所に何度も行くがその現象はない。
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# by kwsan | 2016-08-10 22:16 | その他 | Comments(0)
輿に乗せる舘
 生駒市高山町にある法楽寺末寺の本願寺、毎年7月と9月の2回、檀家の人達により境内の草刈がある、今年も昨日(17日)総勢25人で行われ、途中雨に遭遇したが、檀家の皆様のおかげで10時半頃には終了した。
 終了後、法楽寺住職とお堂内に残っている舘?、らしきものがあるのを確認した。ばらばらになった状態で置かれているが、すべて漆で塗装されている、堂内で組み立てみると、立派な「舘」になった。住職の話によると葬列の時に輿の上に載せる舘とのこと、年号を見ると「元文6」と見える。その他、名前らしき文字も見えるが確認できない。
ばらばらの状態で箱に収納されていたが、箱の蓋には元文6年に輿を購入したと記載されている。このことから、この舘もそのときに購入されたものだろう。
鳥居には一方に妙覚門ともう一方に等覚門と書いた紙が貼られている。
詳細については後日発表の予定
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# by kwsan | 2016-07-18 13:27 | 歴史 | Comments(0)
クロアゲハ
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今朝の未明の雨は45mmを超えた、短時間で降ったのだろうか軒下に置かれた履き物はずぶ濡れ、11時頃から青空が覗き、夏の太陽がじりじりと照りつけている。
大きく翔を広げ留まっている蝶を見つけた、一面真っ黒、バックが黒いと全く判らない。

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菊の葉に留まってひとやみす。
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スイカの葉に留まって休憩
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撮影は生駒市北部 午後3時頃 快晴 25度

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# by kwsan | 2016-06-23 15:29 | | Comments(0)
コクワガタ
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夕方の7時頃、ウォーキング中、道路をよぎっているのを見つけた。最近はこれらのクワガタ類は捕獲する人が多く見かけることが少なくなった。
クヌギ、コナラ、等の樹液に集まるそうだ。

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# by kwsan | 2016-06-18 21:05 | 昆虫 | Comments(0)
2月16日「古道」の続編

小字「墓ノ谷」の場所について大学の先生からコメントをいただいた、「大谷」と云う地名の場所には昔から「墓地が多く見受けられる」そのため小字「墓ノ谷」なる地名は大谷道に沿ってあったのではないか。そういえば地元の方からも「大谷道」に沿って小字「墓ノ谷」の地名が残っていると聞いている。コメントと地元の方の話が合うことから小字「墓ノ谷」の場所は「大谷道」に沿った場所にあったと考えられる。

大谷道を下ると小字「茶屋が谷」の前に出る。
 地元の方から、面白いと言っていいかどうか、判らないが、話を聞いいる。
 昭和バブルの頃、向露寺墓地前から、小字茶屋が谷を通り抜け、黒添池方面に道路を通し周辺を開発する話がまとまった。
 工事をする前に、お祓いをしなければならない。ある日、行者(此所では行者と呼んでおこう)を呼んで、お祓い場所まで案内中、行者の様子が突然おかしくなり、立ち止まって動かなくなった。行者が言うには、「この向こうには、亡者がうようよ見えており、その数も数えられないほど多く、とても私の手には負えない、これ以上進と亡者共に私は殺されてしまう、今回のお祓いは勘弁してくれ」と言って断られた。こんな事から開発の話は立ち消えになった。

 この付近は、その昔、鷹山氏が高山を納めていた時代、戦いが多く戦死者が数知れず、それらの遺体は小字茶屋ヶ谷から黒添池に続く周辺に捨てられ、供養も行われなかった、亡者は捨てられた遺体ではないかと言われている。このような場所は全国何処にでもあるのではないかと思う。


平成11年頃、ここから100m北に「ミツワリ」という小字があり、鳥居が道路から見える。ある業者がその付近の土地を購入し谷を埋め立てた、土地を活用するまでに業者は倒産してしまった。祀られている神様の罰が下ったのではないかと想像する。


 この付近は不思議な話のある地域で、逆に言えば、開発してはならないという戒めかも知れない。


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# by kwsan | 2016-06-16 20:18 | 歴史 | Comments(0)