自然と歴史
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自然の中に歴史がある
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かわぎり

「かわぎり(「川切り」と書くのだろうか)」と言われても意味のわかる人はいないだろう。地元でも若い人は知らない、この地に引越してきた人達は、なおさら判らない。誰がつけたのか知らないが遠い昔から何十年間も言い継がれてきた言葉である。

 昔は護岸工事がされていないため、土手の川底部分が水で削られ空洞になり、その部分がずり落ち川幅を狭くなる。その為、狭くなった部分を削り、川幅を確保、水の流れをよくし災害を防止する、と言う作業であった。
 今の言葉で言い換えれば「川掃除」と言うことになるだろうが、少し意味が違う。

 朝8時、公民館に集合と1ヶ月程前に回覧が回っていた、今後川掃除は7月第4日曜日に行う事が決まり、今回は7月23日である、
 公民館には三々五々鎌や草刈り機を担いで集まってくる、九頭神垣内(地区名)を流れる川の掃除(草刈が主な作業)について組頭(垣内の長)から説明があり、終わると決められた場所に別れ作業開始。
全ての作業が終われば組頭から自治会の連絡、報告があり宴が始まり12時前には全て帰宅する。

 田舎に住んでいると色々と助け合作業があり、みんなが集まる中で年長者から色々な事を教えられ引き継がれる、集会が少なくなった現在、歴史や民族的な言葉が消えていく、寂しいことだ。
 川掃除中には「蜂」、「ハメ(「まむし」のこと)」等に遭遇する機会が多く、今日もアシナガ蜂に刺された人がいたが大事には至らなかった、ハメも一匹捕獲、毎度のことである。昭和40年頃まで、ハメの骨は乾燥され気付け薬などに利用され、骨を買い求める業者もいた。骨を取り出す処理方法は現在も行われているかも知れないが残酷なため説明はせず。

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   草刈前の富雄川(地元では九頭神川と呼んでいる)
これでも奈良県では一級河川となっている、これで大雨でも降れば
どうなるか判ってもらえないのが現状である。

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           草刈後の富雄川
10月頃には上の写真の状態に戻る。これから台風の季節である、
全国で猛威をふるった雨が此所にも降らないとも限らない。
この川には砂防堰が数カ所あるがそれらが壊れたとき、元通りには
成らないだろう。
また、この川上には高山溜池がある。現在水量は半分ぐらいに抑え
られているが九州地方を襲ったような雨が降れば、満水になってい
なくても、満水になると考えられる。もし堤防が決壊したら地元だ
けではなく遠く奈良市当たりまで影響がでるのは確実。



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by kwsan | 2017-07-23 22:12 | Comments(0)
彼岸桜
今年の桜は何時もより開花が遅れている。昨年と今年を比較した、上が昨年3月28日の撮影、下が4月2日撮影です、昨年3月末には満開に近い状態であるが、今年は4月2日では蕾の方が多い。
 ウグイスの鳴き声も例年であれば、2月頃から聞こえてくるが、今年は3月に一度確認出来たのみ。今年は4月2日、3日に奇麗な鳴き声を聞かせてくれた、蝶の飛翔についても随分と遅れ、キチョウとムラサキシジミが今日(3日)確認出来た、馬酔木、拳などの開花も遅れた。3月の中旬頃まで例年より気温が低かったのが影響したと思う。4月2日、3日の最低気温は-0.5度で3日は霜も下りた。これから気温が急に高くなると自然界は急に春となるだろう

 昨年3月28日 撮影
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今年の4月2日撮影
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by kwsan | 2017-04-03 17:15 | Comments(0)
古道 九頭神川周辺


 生駒民俗会発行の「生駒の古道」高山・伊勢街道を歩きその土地の歴史を振り返る。

 
 狭戸公民館横から細い坂道を上ると広い三叉路に出る、左に行くとバス通り、直進すると、次の三叉路にでる。右に行くと高山溜池の堤防を通り改良区の敷地内に入る、それを越えるとクロンド池の「樋」及び「水口」の部分に出るが、通り抜けは出来ない。

 三叉路からは急な下り阪になる、この坂を「七曲がり」と地元では呼んでいる、現在の道は市道であるが一部私道も含まれている。このことは余り知られていない。坂道は二度大きく右に曲がり緩やかになる。
旧道は別にあったと云われている、「七曲がり」の由来は、急斜面を真っ直ぐ登る事が出来なかったため道をくねくねと何度も曲がって登ったので、そう呼ばれる様になった。

 緩やかな下り坂を行くと「大八丁(おおばっちょう)」の集落に入る。三叉路には道標があったが道路拡張時取り外され地元の民家で保管されている。道標には3面に文字が彫られており、その一面に「施主大八丁」と刻まれている、後2面は確認出来ない。

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                  道 標 


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             正面に道標が建っていた

 このあたりには「滝壺」「滝の口」「滝の谷」「西川」「滝川」「間ヶ谷(ありがたん)」などの名が残っているが地図にはない。
 高山溜池が出来るまでは九頭神川(くづかみかわ)は溜池の底樋の付近を流れ両岸は切り立った数十メートルの高さの山肌が続き、川には大きな岩がごろごろ転がり水は急勾配を滝から流れ落ちるかのように流れ、峡谷を思わせる場所だった。
 法楽寺縁起には「法楽寺より30町北 二丈餘の瀧あり是川の源初なり」記載されている。このことからこの付近に滝があっても不思議でない場所である。


「九頭神川」と何時から呼んでいたかは定かでないが、現在は「一級河川の富雄川」となっている。元禄時代の絵図にはタキ川(大和国町村誌集には「瀧川」とある)と記載されている
 この下流に「滝壺」なる場所があり、入り口を「滝の口」と云ったのではないだろうか。「滝の谷」も滝壺あたりではないだろうか。

 堤防下の川を地元では「西川」と呼んでいる。「大八丁」の集落から見て西に位置する川であることから呼ばれるようになったと考えられる。
「滝川」は「西川」から取水している 井出の名前と聞いている。
「間ヶ谷」とは「大八丁」と「小八丁」の挟まれた地域(谷)と云われているが境界などは定かではない。
「大八丁」は「和州添下郡高山村差出し帳(明和5年1785)」、「間ヶ谷」は「法楽寺文書、敬白諷誦文事(安永2年1773)」に見られる。


 堤防の下あたりに、昭和8年頃、九頭神川から東へ少し離れた場所に両方から岩盤くり抜き80mの導水路をつくり水力タービンを動力とした織布工場があった事はあまり知られていない。
 導水路は両方から2人宛掘り始め貫通するまで3ヶ月要した。工場の大きさは10間×8間で寄宿舎は工場近くにあって、機械は豊田製の紡績機で新旧合わせ28台を備えた立派な工場だった。生産は順調で麻の蚊帳、木綿布などを地元の仲買人を通し販売されていたが太平洋戦争の影響で原糸が入手難となり創業から10ヶ年で閉鎖した。創業者の子孫は狭戸に現存、仲買人は北田原及び大北の住人だった、跡地は田んぼとなり現在導水路の面影はない。

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       向こうの土手あたりにおり布工場はあったと云われている

大八丁の集落を過ぎると九頭神川と道路は平行して続き、高さ3m程の滝のような場所にでる、この辺りを「石井出(いしで)」と地元では呼んでいる。今は道路になってしまっているが昭和50年頃まで水車があり、有山日記には「水車行き」と何度も出てくる。そこから20mばかり下ると「城の茶屋橋」がある。
道路が拡張されるまでは橋のたもとから水車小屋への小道があった。
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                   石井出  

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        この付近を石井出と呼ばれ黄色の枠辺りに水車があった

この橋を渡った斜面(田んぼ)周辺を「城の茶屋」と云われており昔、茶屋があったと
「生駒の古道」に紹介されている。坂を登った向こう側は「茶屋ヶ谷」と云われている。「城の茶屋」の南側のこんもりした森は1500年頃この地を治めていた鷹山氏の城跡で「城山」と地元では呼んでいる。「生駒の古道」では高山城跡として紹介されている、城跡から南に続く峰は本願寺裏墓地に続く(現在は通行出来ない)。
「城山」及び「茶屋ヶ谷」は法楽寺文書の「証文事(元禄6年1693)」に本願寺の領地だった事が記されている。

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            城の茶屋橋 斜面が城の茶

 高山城跡の石造物は谷村家文書によると、建立目的は「清和源氏数百年の星霜を経たると蚩も誰か之を顧みたる者無之故に御大曲を記念として慈に其の事蹟を追想し毎年春季に於いて祭典を執行し永く芳名を地に傳えんと欲す」とある。
 地祭りは大正6年3月23日、本願寺諦頂(諦頂の石碑は向露寺、施主は東大寺別當公海師200世管長)が行う、5月8日開眼供養、東大寺代194世筒井寛聖管長、興福院尼僧、秋篠寺僧侶及び地元10ヶ寺の僧侶が参列したとある。13重の塔は高さ2丈1尺、塔の下に敷き詰められた玉石は「道明寺に参拝、6千余個の金剛石を拾って持ち帰った」とある。

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                 高山城跡

 法楽寺が造営されるにあたり、その土地に住んでいた神様(地主神)について生駒市誌には「高山八幡宮とは別の場所に地主神(九頭神)を祀る神殿があった」。その場所についても「高山(法楽寺)の地主神」として「五社竜王」が庄田の小字九頭神に祀られた。
後に五社竜王(九頭竜王)は小字の「九頭神」で呼ばれるようになったとある。
 川の氾濫で「九頭神」の祠が流出し八幡宮の前で杭に引っかかっていたのを八幡宮周辺の住人が祀った、祠は元々「小字九頭神」にあった事から大正の末期に九頭神地区住人が高山城跡に祀ったと云われている。(北倭村誌では八幡宮ではなく富雄中町の葛上神社となっている)。
 「九頭神」が祀られていた場所について地元では色々な場所の伝承があるがそれを証明する古文書は見つかっていない。
 「九頭神」を祭る神事が「平田の森」で毎年11月10日に行われていたことが八幡宮の「座」に記され、現在も12月に東座内の九頭神座が頭屋の家で会食が行われている。

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            城跡に祀られている九頭神(九頭竜王)

 城の茶屋橋から200m程の下流に四叉路がある。
今の道路が拡張される前までは、四叉路の東北の角に灯籠が建っていたが九頭神公民館の敷地内に移転している。灯籠の正面には「愛宕山」正面右には「九頭神中」と彫られている。この四叉路には秋祭りや正月になると「御神燈」なる提灯が毎年立てる風習がある。これらの風習からこの近くに「小字九頭神」があったのではないかと想像する。

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   正月、秋祭りに提灯が立てられる 提灯の向こう側の小地域が「小字九頭神」
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               正面に灯籠が建っていた
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             この灯籠が建っていた

 九頭神川流域は「九頭神垣内」と呼ばれる地域であるが、何時頃から呼ばれる様になったか定かではない。「小字九頭神」が見られるのは八幡宮棟札の「享保11年(1727)」で、その頃は「大八丁」「美ノ渕(みのふち)」「坊田(ぼた)」などの小字があった事から九頭神川流域は「九頭神垣内」と呼ばれていなかったと考えらる、それならば「小字九頭神」は何処にあったのか?耕筰台帳には四叉路南側周辺の小地域であることを表していた。


 この四叉路の橋には悲しい出来事が伝えられている。
太平洋戦争末期、この頃の橋は丸太を半分に切断し2本並べた橋だった、ある雨の降る晩、歩き屋(注1)が赤紙を持って川向こうの家に出掛けた、行くときは風もなく静かだったので難なく橋は渡れた。帰る頃になるとにわかに雨・風が急に強くなり、番傘をさして橋を渡りだしたが渡りきるまでに風にあおられ川に転落、増水した川に流され下流のドンド(砂防堰 注2)の杭に引っかかり死亡していたと伝えられている。
注1 区長(現在の自治会長)に雇われ用件を地域に伝達する人。
注2 今はコンクリートなどで強固に作られているが昔は杭を何本も打ち込みそれらに竹    などを巻き付けて作られていた。


 九頭神公民館を過ぎて100m程に橋がある。橋の端にコンクリが渇くまでに「昭和46年10月24日」と書き込んだ、いたづら書きがある。誰が書いたかは判らない。この橋を渡った広場にも橋が出来る前まで水車小屋があった。

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            枠で囲まれた部分に水車があった

 暫く進と四叉路が有り橋を渡った所に消防車車庫がある、この橋は古くからあり、天保の絵図にも出てくる。橋の名は不明。
この橋を渡り「西庄田」の集落に入ると5分ほどで、本願寺が見える。今は無住であるが歴史は古い。寺の裏山には墓地が有り火葬場とも思える場所が見受けられる、元禄に向露寺墓地が出来るまでは使用されていたが、墓地が出来てもしばらくは此所の墓地は使用されていた形跡がある。(祖霊と精霊の祭場 高田照世著参照)
 本願寺の由緒は不明であるが、秘仏として「石造地蔵菩薩座像」が祀られている、之には「永正元年(1505)」の銘があり現在は閏年の11月に開帳が行われる。

 本願寺裏墓地には熊野参宮板碑があり「本宮 永正元甲子」(1505)「新宮 願人宗本」「那智3月吉日」と3列に刻まれている。

 境内の十三仏は地元の柳掛けから戦後移転されたもので、石碑の足下に「弘治丁巳三年(1557)」法名多数・最後に逆修と刻まれている。

 自然石六字名号碑は「慶長15年」(1610)、上部に阿弥陀如来三尊像種子、三体、中央に「南無阿弥陀佛」とある、その左に「一月十五日」と刻まれている。

 六字名号板碑は「寛永九天高山」(1632)、上部に阿弥陀如来三尊像種子、三体、中央に「南無阿弥陀佛」その左に「二月十五日上村□中」と刻まれている。
 
自然石 富士講碑は「丙元文元天高山庄田村吉兵衞」(1730)中央に種子一体、中央に「(梵字)奉供養富士浅間講」(人数多数)。
その左には「辰六月八日講中□座」と刻まれている。



「西庄田」に入る橋から九頭神川は急斜面になり砂防堰が幾つも続きその先で、美ノ原川と合流し富雄川となる。急な斜面のため大雨で川が氾濫して道路が損壊通行止めとなった経緯がある。堰が多いことから昔から同様な被害が何度も繰り返されていたと考えられる、不思議なことに高山城跡の「九頭神」が毎日お参りされ祀られている時期には、たまたまなのかどうかは判らないが、大きな被害は聞かない。

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           枠で囲まれた部分に水車があった
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        この付近は何度も川の氾濫で道路が損壊している

 中央付近の対岸にある樒の木の下手に昭和30年頃まで水車が稼働していた。
九頭神川は、高山溜池が出来るまでは水量も多く水車を動かすのに適していた、水車は合計3個所稼働しており、明治36年の「有山日記」にも記載されている所から、水車は明治36年以前から稼働されていたと考えられる、戦後精米機の発達により徐々に使用されなくなり昭和40年後半には総て姿を消した


九頭神川に架かる市道7号線の橋は「生駒の古道」では「白岩橋と紹介されている、以前はそれより20m下流の「向谷橋(むかいたんばし)」を渡る川沿いの道があった。向谷橋は橋の形状から明治以前の建設と思われる。川沿いの道は古く天保の絵図に描かれいる。

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                白岩橋
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          向谷橋 石の上は近代に補強されたと思われる


 参考資料  生駒の古道、生駒市誌、高山文化研究会資料、
       祖霊と精霊の祭場 高田照世著、法楽寺文書、
       生駒市石造文化財、生駒市石遺物調査報告書、
       生駒市文化財調査報告書 12集、耕筰台帳、
       高山由緒因縁砲塔建設紀 谷村家文書、
       井上家文書、大和国町村誌集、


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by kwsan | 2016-01-05 21:12 | Comments(0)
四国88カ所参り
19日から1泊の4国88カ所参りに出かけた。
朝5時起床、6時25分に出発、出発時にあわてると何か忘れ物をする。そのため十分な時間を取る。難波に着いたのは7時40分、バスの出発は8時30分、待ち時間は長いが交通の便が悪くこの時間にしかこれない。

四万十川での投網を打つ人
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足摺岬の展望台から見た38番札所金剛福寺
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43番札所 明石寺山門 今回最後の札所 この後難波に向う
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今回は関西から一番遠くの札所ばかりなので帰宅時間が遅くなった。
名張や和歌山からの方は何時になったんだろうな。
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by kwsan | 2009-01-22 21:31 | Comments(4)
ヤマトシジミ
11月とも生れば蝶の目撃数も極端に少なくなる。夕方蝶を求めて散策していると、植木に止まった蝶を発見、近づいても逃げない、気温が低いのか蝶はじっと枝に止まったままである。
早速撮影、模様はありはっきりしないがヤマトシジミだろう。
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今日の目撃した蝶はムラサキツバメ、キチョウ、ヤマトシジミのみである
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by kwsan | 2008-11-02 21:01 | Comments(2)
昨日の雨で朝夕の気温が下がり蝶を見かけるのが少なくなってきた。この写真は雨の降る前でいろいろな蝶が飛翔していた。
キタテハ
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葉っぱが黄色く色づくとこの蝶は発見しにくい、またあまり飛び回らないで日陰の木に
止まっていることが多い。
クロコノマチョウ
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by kwsan | 2008-10-25 17:24 | Comments(2)
セセリチョウ達
8月の下旬から少し涼しくなったせいか幾分か、過ごしやすくなってきた、そんな中ケイトの花が花盛り、その蜜を求めてセセリチョウ達が集まってくる。
コチャバネセセリ
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キマダラセセリ
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ダイミョウセセリ
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草引き作業の休憩中2m程の先で、なにやらうごめいている、ミミズのような物に、白い
糸のような物体が巻き付いている、白い糸のような物は石の部分に引っかかって
ミミズを抱きかかえているように見える、ミミズはすごく暴れている、だが落ちないで
宙ぶらりん状態。
ミミズは暴れているが、白い糸のような物体に抱えられだんだんミミズの動きはなくなる。
あまり気になるので、近づいてみた、そうするとミミズは真ん中当たりで切断され今にも
ちぎれそう、その白い物をよくよく観ると、ヒル(白い色のヒル)がミミズに巻き付いてミミズ
を餌食にしているのである、この土地に長く住んでいるが、こんな白いヒルは観たことがない
たまに見かけるのは黒茶色のヒルでこんな白いヒルは初めてある。
ヒルがミミズを餌食にしている状態なんか長い人生の中で始めてである、ヒルは鹿や
狸、狐等の血を吸血すると聞いているがミミズを餌食にするなんて初めてである。
この状態を最後まで見極めていないのでどうなったのか分からないが、一時間後に確認
するとその場所には何も見あたらなかった。

ヒルの食事
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部分のアップ
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by kwsan | 2008-09-04 21:33 | Comments(0)
セセリチョウ達
この季節になるといろいろなセセリチョウを見かける。どこにでいる一般的なセセリ蝶だが中々はしこくてカメラを構えて画面を確認している間に移動してしまい、撮影チャンスを逃す。
あまり遠くまで移動しないので追っかけ追っかけの撮影になるが、急いでのシャッターなので
ピントが合わない事が多い。

イチモンジセセリ
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チャバネセセリ
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オオチャバネセセリ
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by kwsan | 2008-08-18 10:24 | Comments(2)
クロッカス
スキンを変えてみました、まだよく分からないのでこれから勉強します

今年も咲きました
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黄色から10日して咲きました
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上の花が咲いてから10日後に紫が咲きました
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by kwsan | 2006-03-21 18:04 | Comments(6)
私の独り言
12月6日 朝日新聞の記事より私の思うこと

法楽寺、八幡神宮は現存する建物である。また円楽寺は現存しないがその土地は市が管理する公園になっている。
しかし、四角囲んだ場所は私有地でその場所に行くには人家の庭を通り無ければならない。
だから道はないのであるが、道路マップには載っており、いろんなHPにも紹介されているので
毎年ハイキング時期なるとその周辺の人家に行く道を尋ねる方が沢山来る。
その為周辺の方達は非常に困っている。でも中には他人の山に入り込み人の迷惑も考えず
歩き回る。うっかり一人で山にも行けず困ってるのが現状である。
昭和20年代は田畑の水路や里道が完備していたので問題なくその場所に行けたが今は
田畑が休耕田になり水路や里道が使われなくなってしまっている。
市はその場所に行く道を確保するため最近その周辺の地権者を集め境界の確認を行ったが
何時になる事やら。
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by kwsan | 2005-12-06 22:32 | Comments(0)