本願寺天神社
つまらない話だが、前回「寺請け証文」の分析結果投稿後、不思議な夢を見た。
手を捕まれている感触はないのに、姿の見えない何者かに左手を強く引っ張られる、もの凄く強い力である、振り払おうとするが払えない、ずるずると引きずられる、その怖さにお経を唱えようとするが声が出ない。あまりの怖さに目が覚めた。
地元の古史跡の投稿をすると何かの事象が発生する、昨年、信号待ちで、ブレーキを踏んでる足が突然動かなくなり、一瞬戸惑った、2~3秒後には正常に戻ったが、これが逆だったらと思うと恐ろしい、それも同場所で二度も。
つまらない話はさておいて、子供の頃から、本願寺に社があることが知っていた、祭神については、知らなかったが、現役を終え、自治会の役員を仰せつかった折、初めて中を見ることが出来た。その日は7月25日の天神祭りの夕刻である、この日は自治会の3役揃ってお参りをする、此の時、初めて祀られている木像の姿を拝見した、大きさは20cm程度の大きさで座像、何だか古い仏像に感じた、菅原道真公と知人は教えてくれた。当時の日誌を見ると、「自治会長が天神社の内部を掃除、塩、洗い米、水、野菜(キュウリ、なす、トマト、等)を準備、ローソクを灯し御供えをする。お参りは6時頃3役で行い、供物の野菜は自治会長以外で分けて持ち帰る」、となっていた。
それから数年後、本願寺に付いて調査する機会を得た。その中で天神社に付いて調べていく中、元庄屋の古文書に、「天神社上棟 安永」(1772~1797)の文字が見え、法楽寺文書の本願寺什物に「願主天神社」の項目があり、「天神像 一体」及び「神鏡 一面」等の記載がある、つまり今ある天神像と考えられ、現在、神鏡は二面はあるが、これは後に追加されたのだろう、手水鉢については見当たらないが、手水鉢正面に「奉納 天満宮」、側面に「庄田村 若中 文政11子天(1828)」と読める。同時代に本堂も大修理が行われている事が、位牌や元庄屋の古文書から判明した。
これらを総合すると、天神社は安永の時代に建立され、神鏡と木像の天神像が、祀られたと考えられる、建立の目的は不明であるが、願主天神社とあることから、本願寺の什物であったことには間違いない、その後、理由は不明だが、文政期頃に庄田村の天満宮(社には天満宮と書いた板が掛けられている)となったのではないだろうか。
天満社(現在は天満宮となっている)
扉の裏面に描かれた絵、絵は左右同じ絵である。 何を意味するのかは判らないが江戸期のものであろう。