自然と歴史
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自然の中に歴史がある
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寺請け証文3

3.「寺請け証文」の発信地は何処か?


 法楽寺には200余件の「寺請け証文」が現存する、その発信地について顕彰する。



 図5のグラフは、発信地を地域別に現したもので、地元の生駒市が41件と一番多く、全体の約5分の1を占める、(但し、高山町から送り出された件数も含む)、次に枚方市、京田辺市、精華町、京都市、奈良市、と続く、特に枚方市、京田辺市は村切りなどがあり、合併を重ね地域が広くなったので、件数も多い。
 遠くは岐阜県(農州関ヶ原の宿)・石川県(能州川嶋村)・兵庫県加古川市(播州加古郡別符村)等が見られる。これらの地域と高山町(和州添下郡高山村)とはどのような接点があったのだろう。今では車で数時間の距離であるが、その当時は、道路もなく、道中の危険もあり、多くの日数を経てやってきたであろう。これらの3件は全て縁談で石川県が男性、他は女性である。これらの末柄が見つかれば先祖の話を聞いてみたいものだ。


 図6は、発信地を府県別に表したもので、大阪府が全体の5分の2を占めている。奈良県、京都府は、ほぼ同率、大阪府東部が多いのは高山町に接する面積が広く、接続される街道(清滝街道、群山街道、磐船街道等)も多く庶民の交流が盛んであったと考えられる。


 図7は、図6から大阪府のみを取りだして、大阪府の地域を比率で表したものである。
 大阪府の中では枚方市が4分の1を占めている、次に門真市、大東市、交野市、四条畷市と続く。
枚方市、交野市はカイガケ道や群山道を、門真市、大東市、四条畷市等は清滝峠道を、経て高山町への行き来が盛んだったと思われる。


 図8は、図6から奈良県を取りだし、奈良県の地域を比率で表したもので、生駒市が半分以上を占めている、次に奈良市、郡山市と続く、奈良市との交通は一条街道を通っての行き来が盛んだった。
奈良市(南都)へは奈良時代の古くからの接点がある、地元の豪族鷹山氏は奈良市の窪之庄との繫がりもあり、それらの影響もあって比率も高くなっていると考えられる。郡山については群山道を通ったと思われるが古くからの接点は見つけにくい。


 図8―1は図8の生駒市の地域を表す。これによると、富雄川沿いの谷である上村や傍示村の比率が高く、生駒谷の比率は少ない、鹿畑村や南田原村は富雄川沿いの谷ではないが、高山村に接しているので比率も高い。グラフの中で、高山村とあるのは、高山村から出ていった比率である、図8-2にその内容を示す。


 図8-2の件数(9件)は控えとして現存しているもので、資料としては少なく正確とは言えないが、高山村から出て行った地域は、主に東西に別れ、南北には見当たらない。


図9は、図6から京都府を取りだし、京都府を地域別に表したものである。
京田辺市、京都市、精華町は同じ比率である、精華町との行き来は今も続いており、図8―2からも判るように東畑と高山町との縁談は特に多い。

纏め
全般に送られてくる地域は山間部が多く、特に枚方市、京田辺市、交野市、精華町等がそれに当たる。
それらの地域は、働く田畑が限定され、また開墾する土地も少なく、分家しても生活するための田地は、確保できなかった、そのため、生活するには、生まれた地域から出ていくしか方法がなかったと考えられる。出て行くにも遠くへは行けないので、隣接する地が、選ばれたと考えられる。



参考文献
生駒市古文書調査報告書1~4  生駒市教育委員会
生駒誌史            生駒市教育委員会




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by kwsan | 2017-01-18 20:53 | 歴史 | Comments(0)